from heart beat

観たものについて書いたり書かなかったりします。

「マリー・キュリー」「ジキハイ」「白鳥」感想など

怒涛の2023年3月が終わりました。仕事しながらこんなに舞台やイベントに行くこと、今後のオタク人生でもうない気がする。せっかくだし記録しておこうと思います。

本当はRENTもこの記事に入れたかったんだけど、1万文字超えるし、書いても書いても終わらないので別にします。

 

ミュージカル「マリー・キュリー

mariecurie-musical.jp

1回だけ見るつもりだったけど超良かったので追加しました。宣伝の感じだと、移民で女性というダブルで弱い立場にあったマリーが困難に立ち向かっていく、フェミニズムやエンパワメントのメッセージが強いのかと思っていた。
でも実際に作品を見てみると、もちろんその面はありつつ、特に2幕はラジウム発見を巡っていち科学者としてその功罪にマリーが苦しむ姿や、人間の手で扱いきれないものを「発見してしまった」マリーが翻弄される姿が中心になっていた。この2幕の描き方が、作品を一段階上へ押し上げていたように思う。前例のないことを逆風に負けず成し遂げた女性!って作品もまだまだ現代には必要。でもそこで終わらず、ひとりの職業人としての苦悩も描くことで、多面的で色々な見方ができる作品になっていた。

まず脚本については、マリーとラジウムの同一化の構造が本当に見事だった。流れを説明すると、マリーが「それ自体が爆発的なエネルギーを発して光っている」物質について夢中になって話す姿を見て、親友のアンヌは「それってマリーみたいだね」と言う。この物質っていうのはラジウムで、ここで初めてマリーとラジウムの同一化、同一視が行われる。(でもそれ以前から、ちゃぴマリーの体や言葉からほとばしるエネルギーを見ていた観客は、まるでマリー自身のことのようだな、と感じていたと思う。少なくとも私はそうだった)
話が進んで、ラジウムの危険性を認識しながらも実験の進行を優先したマリーが「ラジウムが危険だと世間が知ったら、自分ごと否定されるのではないかと思った。それが怖かった」とアンヌに打ち明ける。
そしてアンヌはそれを真っ向から否定する。「自分がラジウムになったつもり?あなたはマリー・スクロドフスカ!それだけで十分なのよ」。もう……泣いたわ!!!!研究に埋もれかけていたマリー個人にここでビタッと焦点を持ってくる展開、上手すぎませんか…。

この作品、ファクション(ファクト×フィクション)を謳っている通り、ファクト、つまり歴史だと無視されがちな個人を、フィクションで掘り起こす作業が行われてるのだと思った。
ここで効いてくるのが「見えないからといって存在しないわけじゃない」というマリーのセリフ。本筋では未発見の元素について言っているけれど、様々な要素とダブルミーニングになっている。当時被占領国だったマリーの故郷・ポーランド、本当はラジウム健康被害で亡くなったのに死因は梅毒だと隠蔽された、歴史に名前の残らない大勢の工員たち、女性、移民。物語の枠を超えて、社会で「いないこと」にされている全ての人に向けた言葉だと思う。
そして、そんな「いないこと」にされた工員たちの名前をアンヌがフルネームで呼び、セットに投影された元素周期表に名前が浮かび上がり埋まっていく演出がまた一層感動的だった。消されかけていた存在に光が当たった瞬間だった。
これ、フルネームで呼ぶのが超大事だと思うんですよ。工員たちは一度も自分でフルネームを言わない。アンヌが初めて呼ぶ(ちなみにアンヌが工員たちをフルネームで呼ぶシーンは2度ある)。見えないからといって存在しないわけじゃない、危険な仕事場で雑に扱われても、ひとりひとりの人生があった。名前って、そこに生きる人間個人を他者が認識する最初で最大の手段だから、フルネームでアンヌが呼んでくれたことにとても嬉しくなった。

キャストについても書きます。まずマリー役のちゃぴちゃん(愛希れいかさん)、役に魂ごと捧げる姿が研究に没頭するマリーに重なって、その説得力と気迫に圧倒されっぱなしだった。ミュージカルでマリーといえばマリー・アントワネットだったけれど、この「マリー・キュリー」以降はもう一人の「マリー」が誕生したんじゃないでしょうか…!
年齢を重ね、劇中では描かれていない経験の積み重ねに説得力を持たせる芝居ぢからも本当に素晴らしい。何があったのか想像する気になるし、実際に想像することができるんですよね。
未来へのドキドキと希望に満ちてアンヌと別れた後、ソルボンヌ大学でフランス人の男子学生たちに取り囲まれ差別されるシーン。それまでぴょこぴょこと羽根が生えたように歩いていたマリーが、ここでは口を真一文字に結んで、雑音を無理やり振り切るように、無駄な動きを省きツカツカとロボットのように歩く。これだけで、入学してから味方がいない環境で孤独に戦ってきて、そのせいで全身に力を込めて武装したこの姿勢、この歩き方が身についてしまったんだと思わせられた。老年期から若い時代、悲劇的なシーンから日常への切り替わりもかなり多かったんだけどそれも見事で、ちゃぴちゃんは時計の針を自由自在に操れるの…?

マリーの夫・ピエールを演じた上山竜治さんは、こういう芝居でも活きる人だったんだと失礼ながらめちゃくちゃ驚いた。これまでは派手で癖のあるキャラクターで見ることが多かったんだけど、ピエールのように穏やかで、言ってしまえば他を引き立てる役を、飾らずとにかく実直に演じていたと思う。
特に印象的だったのは、マリーが研究中にケーキ(バブカ)を「切り分けてもらえる?」とピエールに頼むシーン。ピエールは微笑んで「ああ」と答える。このやり取りがめちゃくちゃ自然で、マリーとピエールの関係ではこれが普通なんだ、これができるのがこの夫婦なんだとハッとした。現代の家庭で、別作業中の女性に台所まわりの仕事を頼まれて快く応じる男性はどれぐらいいるんだろう…。
マリーとピエールでもっと言うと、キスシーンがないの…!これ、革命的じゃないですか?素晴らしい選択だと思った。二人はもちろん愛情で結びついた夫婦だけど、それ以上に科学を追究し挑戦する同志なんだよね。そして愛情はキスがなくても描ける。マリーの背中に回るピエールの手、ピエールの肩に顔を寄せるマリーで十分だった。

作品が重なりまくった3月の上演、かつ情報解禁が他より遅めで、日比谷ではなく天王洲アイルの劇場ということで、開幕前は券売に苦戦していたようだった。でも初日の幕間から、タイムラインで「これはヤバいぞ」と盛り上がる感想を見かけるようになって、その数と熱量は日を追うごとに増していった(もちろん、私にはそこまでだったなーって感想も見かけた)。私も早めの日程に1回目を見て割と熱心に感想をツイートしたので、秀作の客席が徐々に埋まっていく現象はやっぱり嬉しかった。
大阪公演は4/20~4/23だそうです。U-22チケットも出てた!

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ミュージカル「ジキル&ハイド」

horipro-stage.jp

柿澤・笹本・上川・桜井、柿澤・真彩・上川・桜井で計2回見た。
柿澤さんが大優勝でしかない〜。大河が終わって脂がのっているであろうタイミングでこの役に巡り合ってくれてありがとうございます…。こういう柿澤さんが見たい、こういう柿澤さんが好きっていうオタクの嗜好を余裕でぶち抜いて燃やして超えていった。
柿澤さんの身体性がめちゃくちゃに際立つ2役だった。運動神経がいい・悪いを超越した、ステージでの表現に特化した特別な身体を持っていると思う。ハイドに初めて変身するシーンが特に好きで、体を丸め、反らし、ねじり、ちぎれてバラバラになるんじゃないかってぐらいのたうち回り…怪物のような歪なシルエットが奥のセットに投影されて、ジキルの背中から別の生き物が生まれたみたいだった。照明も含めて素晴らしいシーンだった。
柿澤さんの芝居は、目線や仕草、セリフの言い回しなど細かいところに、その役が世界をどう見ているかを忍ばせてくるのが本当に上手くて、今回もそれを堪能させてもらった。
例えば「知りたい」の神に誓うところで、跪く直前に右の口角をクッと上げていた。歌詞は「神よ 勝利の日を導かん 力与えたまえ ヘンリー・ジキル あなたのしもべだ」かな。ポーズと言葉のみだと神の支配下に進んで入ったように見えるけれど、この片側だけ上がった口角はむしろ、科学で神に挑戦する気概と野心の表れだった。
父を救うための研究だという善の部分を前のシーンで見せているから、この不遜で傲慢な態度が一層際立つ。ジキルという人間を序盤で多面的に見せることが、この後の展開に効いてくるから上手い。
ジキルの善ではない部分でさらに言うと、ハイドに初変身するよりずっと前から左手の動きが怪しい(ジキルは右手、ハイドは左手を司る演じ分けがされているのは、「変身」の見せ方などから明らかだと思う)。
病院の理事会メンバーに研究を全否定されると、ジキルの左手が何かを捻り潰すようにバキバキとうごめくの怖かった〜。イラつきと不満、もっと言えば憎しみの表れだった。ハイド変身に繋がる要素がこの時点からちりばめられているのだなと思った。ジキルはまっさらな善ではない。
ジキルは、人間の心は善悪に分けて悪を抽出すれば善だけが残ると仮説を立てたけれど、そんな単純な話ではなく。2つは複雑に混ざり合い共存していて、どんな割合でどちらが態度や行動として表面に出るのかは、そのときの状況や気持ちによって異なるんだよね。

笹本玲奈さんと真彩希帆さんは、それぞれ方向性の全く違うルーシーを作り上げていて、ダブルキャストの面白さをここまで感じたのは久しぶりな気がする。
玲奈ちゃんは、ある程度の年齢までは一般的な生活を送っていた女の子が、何かの事情でどん底で働かざるを得なくなってしまったルーシー。普通を知っているからこそ、もうあそこには戻れないのだと現状に絶望し諦めている。「新しい生活」は、どんな部屋に住み、どんな仕事をするかなど具体的に想像している感じ。
真彩さんはもう…何も知らない女の子で、物心つく前から宮川さん演じるオーナーの元にいたんじゃないかな。殴られてヘヘッと笑いながら言う「申し訳ありません」が、長年の虐待に対して出てしまう反射的な媚びの笑いって感じで、胸が締め付けられた。「新しい生活」は初めてここ以外での生活を想像して、希望や理想が無限に湧いてくる感じだった。
それから殺される前、ハイドの歌う「Sympathy, tenderness」を聴くルーシー二人の反応がそれぞれ素晴らしくて…。玲奈ちゃんはこの曲でハイドがジキルだと気付いて、目を大きく見開いてショックを受けた表情になる。そこから、ジキルに殺されるのなら…と受け入れるような柔らかさが最期にほんの少し見えた気がする。
真彩さんは、歌を聴くと今の恐ろしい状況を忘れ、子守唄を聴く子どものように目を閉じてうっとりしてるの…。たとえハイドが歌っていようとも、真彩ルーシーにとってはジキルの部屋で過ごした恋しい時間を思い出させる歌なんだなあ。愛情の欠落やルーシーの幼さを改めて感じた。個人的に、真彩さんは音楽と深く結びついていて、どんな音楽とも仲良しになれる人という印象なので、状況よりも歌そのものにルーシーの気持ちが連動したこの解釈はすごく好きだった。


Kバレエ「白鳥の湖

www.k-ballet.co.jp

去年の夏ぶりのバレエ観劇!これまでKバレエで見たのは、シンデレラ・くるみ・カルメン・ロミジュリ・クラリモンドかな。どの作品も踊りはもちろんセット、衣装、照明、演出などまさに総合芸術だな~と素人ながらに思っていたけれど、白鳥はその中でもすば抜けて「「「美」」」を徹底的に追求していた。
特に白鳥のコールドバレエの揃い具合よ。CGかと思うぐらい揃っていた。衣装も本当に素敵で、異素材が何重にも重ねられたスカートや裾の繊細な装飾が揺れるたびに心がときめいた。

キャストは楽しみにしていたベンノの関野海斗さんとロットバルトの堀内將平さん!
関野さんは初めて見たときに、そのシャープな回転がバレエというよりまるでストリートダンサーのようで衝撃的だった(バレエダンサーにとって褒め言葉じゃなかったら申し訳ないけれど、バレエを初めて見たミュージカル好きの感想として聞いてほしい)。Kバレエの男性陣の中だと体格が小さめなんだけど、踊るとその差は全く気にならず、むしろ背の高いダンサーよりも伸び伸びと踊る姿が魅力的に見えた。重力を感じさせないのではなく、重力を跳ね除けるような弾力性のあるジャンプも好きです。
ベンノは芝居で遊びをかなり入れられる役のようで、お酒を飲もうとしたところをおじさんに止められ、「飲んでないッスよ~^^」と誤魔化した直後に隠れて一気にあおったり、もらったボウガンで一生遊んでたり、見ていて楽しかったです。
堀内さんのロットバルトはめちゃくちゃフクロウだった!白鳥とは違う種類の鳥だというのが踊りで明確に表現されていて面白かった。ロットバルトの大きなマントの衣装は素敵だけど、ジャンプのときに足のラインが隠れてしまうのがもったいない…。


イベント系

  • 甲斐翔真オンライントーク
  • 甲斐翔真対面カレイベ
  • 甲斐翔真ファンミーティング

なんでこれ全部3月にやった!!?お陰様でオタクスキルが上がりました。オンラインと対面、それぞれの良さを活かせたと個人的には思う。聞きたいことたくさん聞けて楽しかったです。
ファンミはキャパを増やせ!でも本人が300ぐらいの大きさが好きらしいので、じゃあ公演数を増やせ!(強欲)集まったオタクがいつ頃から自分を応援しているのか、やたら気にしてて面白かった。


番外編:ハードスケジュールを支えてくれたもの

アミノ酸系飲料、めっちゃ効きます(個人の感想です)。楽屋の鏡前に粉で溶かすタイプのアミノ酸がよく置いてあるのにも納得した。3月のスケジュール組んだ段階では、何度か仕事寝坊しそうだなーワハハ!ぐらいには思ってたんだけど、無遅刻無欠勤で乗り切れたのはこれのお陰。
私はソワレから帰宅した後、夕飯代わりにコンビニで売っているアミノ酸入りの炭酸飲料を飲んで、お腹が膨れているうちに寝ちゃうって流れをよくやってました。翌日、まあ背中とか観劇筋(?)の凝りはあるものの、全身のダルさはこれまでよりも軽減されていた気がする。

3月の教訓:心身の健康あってのオタク。