from heart beat

観たものについて書いたり書かなかったりします。

この役者に出会えて良かった賞2022

あけましておめでとうございます。
去年のうちに書き上げるつもりだったんだけど、某ハンサムが集まる祭りで騒いでいたらいつの間にか2023年になってた。

2022年もたくさん劇場に行き、たくさん演劇を見てきたぞ~!
振り返ると、良かった作品だけでなく「今この役者を見られて良かったなあ」とピンポイントで強烈に記憶に残った2人がいました。そんな2022年特にやばかった2人について書きます。

 

加藤清史郎
「BE MORE CHILL」マイケル役

とりあえずこの動画を見てくれ。

www.youtube.com

ヤッッッッッッバくないですか?????

 

どんな作品?

ジェレミー(薮宏太)はニュージャージー州にある高校に通う冴えない男の子。同級生のクリスティン(井上小百合)に密かに想いを寄せる彼は、ある日、学校のいじめっ子に日本製の超クールになれる「SQUIP=スクイップ」‹Super Quantum Unit Intel Processor›というスーパーコンピューター入りの錠剤の存在を聞く。親友のマイケル(加藤清史郎)にも相談し悩んだ末、この錠剤を手に入れたジェレミーはそれを飲むのだった。
そのスクイップ(横山だいすけ)のお陰で一時は何もかも思い通りになり、人気者になってきたジェレミーだったが、次第にスクイップに乗っ取られ、マイケルとの仲も悪くなり、人生が空回りし始める・・・

www.tbs.co.jp

 

どんな役?

主人公・ジェレミーの親友でゲームオタク。腕にパックマンのタトゥーを入れている。イケてない自分にコンプレックスがあり周りの目を気にするジェレミーに対して、マイケルは飄々としていてイケてる・イケてないの評価軸は大して気にしてない。こじらせ気味で内向的なジェレミーと、オタクだけどカラッと明るく達観しているマイケル。

最初に貼った動画の「バスルームのマイケル」は、スクイップのせいで性格が変わってしまったジェレミーに「負け犬!」と罵られたマイケルが、パーティー会場のトイレに一人こもって歌う曲……もうこのシチュエーションだけで胸が苦しくなる。

 

何が良かった?

一番心を掴まれたのはマイケルの弱さの見せ方。「今はイケてないグループだけど大学へ行ったら変わる、大丈夫になるさ」と言えていたマイケルが、作中で初めて弱さをさらけ出すのがこの「バスルームのマイケル」なんです。

ジェレミーに見捨てられて寂しい、悲しいってストレートな感情ではなく「負け犬!」というキーワードに自嘲的に笑うところでハッとさせられた。
マイケルは、クラスでのポジションに不安を感じていなかったわけではない。不安でも大丈夫だったのは、隣に親友のジェレミーがいたから。そのジェレミーに置いていかれて独りになると、これまで見ないふりをすれば大丈夫だったものに追いつかれて飲み込まれそうになる。周りからどう見られているか、本当は気付いていたのに平気なふりをして、今さら怖くなるなんてバカな自分だっていう自虐的なニュアンスがあるんだけど……これがつらくて可哀想で最高なんだ~~~~!!!!

最後の「マイケルって誰だ?」でも胸が大きくえぐられる。自分の名前を知っている人、ひとりの人間として認識している人はジェレミー以外にいるんだろうか。自分は空気のような存在なんじゃないだろうかって不安の叫び。
さらに劇中でクラスメイトがマイケルを「ヘッドフォンつけたコミュ障のやつ」と言い表していることで、カースト上位層からだとやっぱりそう見えるんだって分かってしまう。そういう言葉を遮断するためにマイケルはヘッドフォンをつけてるのかなって考えてしまって気持ちがぐちゃぐちゃになる。一見平気そうに見えていた子が実は……な展開、みんな好きだよ!

しかも歌が上手くてざらっとした声質も曲に合ってる。ビッグナンバーなんだけど気負わず、リアルタイムで生まれる感情の機微を漏らさないよう丁寧に丁寧に伝えてくれるから一層胸に迫るシーンになっていた。

あとマイケルの可愛いところはビジュアル!ジェレミー役の薮くんと並んだときのフォルムの違いが最高。ひょろっと背が高くて地味な服装のジェレミーと、もじゃもじゃヘア+メガネ+ヘッドフォンにワッペンでカスタムしたパーカーのマイケル。身長差もいい。カートゥーンネットワークのアニメに出てきそうなキャラデザだった。enterstage.jp

日本で「Dear Evan Hansen」を上演するときが来たらエヴァン役は加藤清史郎さんにやってほしい。

 

 

中川大志
「歌妖曲~中川大志之丞変化~」桜木輝彦/鳴尾定役

こちらもとりあえず動画を貼ります。

www.youtube.com

www.youtube.com

www.youtube.com

物販で売られていた桜木輝彦のレコードの解説文から引用。

とんでもない怪物の誕生である。

 

どんな話?どんな役?

昭和の芸能界に君臨する鳴尾一族に生まれながら、ねじ曲がった体と醜く引きつった顔を持つ鳴尾定と、歌謡界に彗星のごとく現れたスター・桜木輝彦の2役。定は自分を人目から隠し蔑んできた一族に復讐するために、闇医者に依頼し見た目を変え、桜木として歌手デビューする。

www.sanjushi2nd-2022.com

 

何が良かった?

中川大志さんにできないことってあるんですか?これが舞台初挑戦だなんて信じられないぐらい、舞台役者としての魅力にあふれていた。

歌っているところをテレビで見かけたことがあって上手いのは知っていたけど、スター・桜木輝彦としてのパフォーマンスを歌唱中の目線や仕草まで完璧に仕上げていたのがすごい。こんなのが出てきたらそりゃ昭和歌謡界が激震するわって説得力がある。キラキラの眩しいアイドルとは違う、瞬きも忘れて思わずじっと見入ってしまう求心力を持っていた。

映像で活躍していた役者が舞台初挑戦!となったら、声が出てなーい!軽ーい!ってちゃぶ台返ししたくなることもあるんだけど、中川さんはちゃんと生の観客に届けるための声になっていたと思う。滑舌もしっかりしててストレスがなかった。声が良い役者はそれだけでありがとうと拝みたくなっちゃう~ありがとうございます。

この過酷な作品を必然的にほぼ出ずっぱりになる2役で全48公演やりきったタフさにも触れておきたい。大楽後の中川さんのインスタ見るとやっぱり相当大変だったみたいだけど、完走したプラスαの爪痕を残してるんだよなあ。ていうか前世で何したら初舞台でこんなとんでもねー役をやらされるんだ。

顔の半分を覆う仮面と長いウィッグをつけ、背中を丸め、片腕を曲げ、片足は引きずって歩かなきゃいけない定の基本姿勢がまずめちゃめちゃハード。桜木だって歌うしアクションシーンもある。しかも桜木/定の早替えが結構えぐかったですよね?着脱するものがたくさんあるはずなのに、一番短いところだと1分もなかったんじゃないかな、感覚値だけど。袖のスタッフワークも見事だったんだろうな。腰と足お大事にしてください。

芝居の面は、桜木と定という2役の共存のさせ方がとても好きだった。
1幕の途中までは桜木と定のことを陽と陰、光と影、表と裏のようにそれぞれが独立した存在で一緒にはいられないのだと思っていた。桜木は人々の熱い視線と照明を浴びて輝き、定は闇に生きている。登場シーンのカラーが全く別物だし、桜木もその世界を楽しんでいるようにさえ見えた。

その印象がぶっ壊されたのが1幕ラスト。歌う桜木の目とオーラが徐々に変わっていって、内側から定の真っ暗闇がずるずると這い出てくる。この変化がもう~~素晴らしかったですね。
スイッチのように二人の人格ががらりと切り替わるのではなく、あくまで定が姿を変えたのが桜木で、どれだけ華やかな場に身を置こうが桜木の内面はめらめらと燃え上がるマグマのような復讐心でいっぱいだった。
憎しみが素直に行動に現れる定に対して、それを爽やかさというオブラートで包んで隠し持つ桜木の方がむしろ気持ち悪く見え始めたのが面白かった。

あと、中川さんは定にある種の純粋さを見出して演じていたんじゃないかなって思う。定って育った環境のせいもあってひねくれた性格をしているんだけど、なぜか生まれたての野生っぽい純粋さも感じられたんですよね。
世間から隠され、自由に出歩くことが許されなかったってことはつまり、身内以外と関わる機会はほぼなかった。定と対等に接してくれるのは兄だけで、他の人間からはたくさんの悪意を向けられていた。歪んだ狭い世界は定を痛めつけてきたけど、「これだけ」と決めたものにすがる腕の力強さも与えたんじゃないかなあ。
ストーリーが進んで外の人間と多く関わるようになるにつれて、煮詰まった復讐心と方向性を間違った純粋さだけだった定の内面がどんどん複雑になって、悲しく、人間らしくなっていくのが魅力的だった。

この物語って、誰も何も成し遂げることなく終わるんだよね。鳴尾一族の一大叙事詩で壮絶なラストなのに、振り返ると結実したものが何もない。中川さん演じる定が、桜木がここに生きていたことを観客は目撃する。でもそれで成立するし納得してしまう。そういうドラマとフィクションを背負えるバケモン級役者が中川大志さんだった。

なるべく早めに劇団☆新感線の作品に出てほしい。ていうか今回でヴィレッヂと縁ができたんだからあり得ない話ではないですよね!?

そして「歌妖曲」、なんと3月にWOWOWでの放送が決定しました。やったーーーーー!!!!!!ここまで読んでくれた人は加入して見ましょう。そして初見の感想をください。

www.wowow.co.jp

 

今年も良い作品、良い役者にたくさん出会えますように!

「もはやしずか」「関数ドミノ」「ザ・ウェルキン」感想

さて今年の現場まとめでもやるか~と思ってはてブロを開いたんだけど、結構頑張った形跡のある下書きを見つけたのでちゃんと書き上げることにした。ちなみに「もはやしずか」は4月、「関数ドミノ」は5月、「ザ・ウェルキン」は7月の作品でした。いつの話してるんだよってツッコミはなしでお願いします。

 

「もはやしずか」

康二と麻衣は長い期間の不妊に悩んでいる。やがて治療を経て子供を授かるが、出生前診断によって、生まれてくる子供が障がいを持っている可能性を示される。

康二は過去のとある経験から出産に反対するが、その事を知らない麻衣はその反対を押し切り出産を決意し…。

mohayashizuka.jp

あらすじから命の重みがテーマなのかなと想像してたけど、それは良い意味で裏切られ、重ーーいトラウマを抱えた男とその家族の話だった。

というのも、私は将来を考えたときに子どもが隣にいる自分の姿なんか想像できないし、そもそも今の婚姻制度の下では結婚したいとも思っていないので、「夫婦・出生前診断・障害のある子どもの親になる」って倫理的なことはどうでもよかった。
だから、麻衣に「なんで子ども作るのは賛成だったの?」と聞かれた康二が「欲しいとは思うでしょ普通」と返すところはよく分からなかった。自分がどんな価値観で、何を重要視してこの現実世界を生きてるのかが、フィクションを通して改めて浮かび上がるのは楽しい。
トラウマを抱えながら生きていくってどういうことなのか、それは周りに理解してもらわなくちゃいけないのか、そもそもトラウマと向き合って良い結果になるとは限らないよね、みたいな話だと私は受け取った。

傍から見ていると、麻衣と康二の間には「どうしてこの人たち一緒に暮らせるんだろう?」と思わせる魂レベルでの相容れなさが横たわっている。会話をするたびに関係性がギシギシと音を立てて歪んでいく。ソシャゲや出前の他愛ない話をしているときは仲良しカップルに見えなくもないんだけど、本心ではないことを言ったり、相手の出方をうかがって試すようなことをしたりするから空気がピリッとして居心地が悪くなる。気まずい空気が流れるのにセリフが軽妙で、なぜか段々面白おかしくなってきちゃうんだよなあ。加藤拓也マジック…。

康二の作ったCGが事故の風景だったのは、まだ康二は全然トラウマ真っ只中だし、完全に克服できる日はきっと来ないんだろうなと思った。それが良いとか悪いとかではなく。ていうかCGデザイナーの仕事でなかなかうだつが上がらないの、本人は無自覚だけど作るサンプルが全部ああいう事故とか血のイメージを含んでるからじゃないのかな…。 

主演の橋本淳さんが、事務所の後輩・松岡広大くんのラジオで色々話してくれてるので特に舞台を見た人は必聴です。企画段階からあっちゃんさんが関わっていたとのことで、役者がそこまですることもあるのかと驚いた。

audee.jp

これ書くにあたって「悲劇喜劇」で戯曲を読み直したけど、意味わかんねえ〜〜〜コエエ〜〜〜wwwの気持ちがよみがえってきて愉快だった。この文字情報からあの作品が出来上がるの信じられないな…役者って稽古場ってすごいですね。

 

 

イキウメ「関数ドミノ」

金輪総合病院前。見渡しの悪い交差点。
車の運転手は路上に歩行者を発見するが、既に停止できる距離ではない。
しかし車は歩行者の数センチ手前で、まるで透明な壁に衝突するように大破した。
歩行者は無傷。
幸い運転手は軽傷だったが、助手席の同乗者は重傷。
そこで目撃者の一人が、これはある特別な人間「ドミノ」が起こした奇跡であると主張する。
彼の発言は荒唐無稽なものだったが、次第にその考えを裏付けるような出来事が起こり始める。
「ドミノ幻想」
世界はある特定の人間を中心にして回っているとする考え。
その人間の願ったことは必ず叶う。
願った瞬間にドミノが倒れ、結果に向かって進んでいく。
周囲はそれに合わせて調整される。
また、ドミノは思いの強さに比例し、スピードを上げる。
最も速いものは「ドミノ一個」と呼ばれ、願った瞬間に結果が現れる。
それは俗に「奇跡」と呼ばれる。
ドミノの力は期間限定である。
ランダムに移っていき、誰に備わっているのか判定することは難しい。
当然本人にも自覚は無い。

www.ikiume.jp

俯瞰的に見ると、作品を構成する要素が精密機械によって寸分の狂いなく緻密に組み立てられてる。でも近づいてよーく見ると、血が通ったすごく人間くさい作品なのだと気付いて、この二面性がめちゃめちゃ面白かった。

イキウメは2017年の「散歩する侵略者」からほとんど見ていて、どの作品も良い!と思えるものたちだったけど、この「関数ドミノ」は「おもしれーーーー!!!!」度合いが抜群だったように思う。切れ味が半端じゃない。
安井さんの語り口、浜田さんの人間味のある異質さ(いつもは宇宙人や人外の異質さ)、盛さんの一本筋の通った実直さ、森下さんの純朴さから変異する狂気、(珍しく無害な役どころだった)人衛くんのリズム感。これでもかってぐらい個性的な役者たちなのに、生産地は同じなのが分かるんだよなあ。客演の方々も素晴らしかった。難解なパズルのピースが一手のミスもなく正しい位置にはまっていく気持ちの良さ!イキウメという劇団の一番おいしいところをいただいてしまった。

ドミノ幻想について熱弁する中で、真壁が「世の中のほとんどの人間はこの"真実"に気付いていない」って趣旨の言葉を吐くんだけど、時勢柄もあり陰謀論者に見えてゾッとした。
あれだけ他人を見下し"論破"しまくっていた真壁が、自分自身がドミノだったのでは?という推測を簡単に受け入れるのは、きっと彼が自分の人生に納得できる理由を求め続けていたからなのだと思った。全てが願ったとおりになる力が欲しかったはずなのに、「どうせドミノのあいつに邪魔されるんだ」「自分はドミノじゃないから無理だ」と、無意識に自分にストッパーをかけていた。ドミノはそれに敏感に反応して、真壁の望みは何も叶わなかったという盛大な皮肉…。
真壁の「皆さんは、間違えないでください」という最後のセリフ。出来事の理由を環境や他者に求めすぎていた真壁が、自分の内面に目を向けたからこそ出てきたんだと思う。恐らくもうドミノでなくなってしまった真壁が発するのが、いつもの捻くれた言葉ではなく誰かの曇りを晴らすものであることに希望を感じた。

 

 

「ザ・ウェルキン」

1759年、英国の東部サフォークの田舎町。
人々が75年に一度天空に舞い戻ってくるという彗星を待ちわびる中、
一人の少女サリー(大原櫻子)が殺人罪で絞首刑を宣告される。
しかし、彼女は妊娠を主張。妊娠している罪人は死刑だけは免れることができるのだ。
その真偽を判定するため、妊娠経験のある12人の女性たちが陪審員として集められた。
これまで21人の出産を経験した者、流産ばかりで子供がいない者、早く結論を出して家事に戻りたい者、生死を決める審議への参加に戸惑う者など、その顔ぶれはさまざま。
その中に、なんとかサリーに公正な扱いを受けさせようと心を砕く助産婦エリザベス(吉田羊)の姿があった。
サリーは本当に妊娠しているのか? それとも死刑から逃れようと嘘をついているのか?
なぜエリザベスは、殺人犯サリーを助けようとしているのか…。
法廷の外では、血に飢えた暴徒が処刑を求める雄叫びを上げ、そして…。

www.siscompany.com

チャイメリカ」「チルドレン」のルーシー・カークウッドと加藤拓也、これは見るしか!ということで楽しみにしていた作品。裏切らない良さだった。今年はストレートプレイが豊作だ~。

1幕に、招集された女性たちが聖書に片手を置き、次々に「〇〇の妻です。夫の〇〇はこんな仕事をしています」「子どもは何人います」と自己紹介する陪審員選任のシーンがある。ここに強烈な違和感があって、女性たちは自分が何者なのか、夫や子どもといった他者の情報でしか説明する術がないんだなと胸が痛くなった。物語が進むにつれて12人それぞれの個性が分かってくるからなおさら。

性格やバックグラウンドの違いもあってサリーが妊娠しているかどうかの議論は過熱していくんだけど、結局は助産師であるエリザベスの言葉も信じられず、男性医師の診断によって「妊娠を認める」に意見が一致するのはやるせなかった。

その後に12人全員で歌を歌うシーンがあるんですね。過去8年で12回の流産を経験したヘレンが、人殺しのサリーは妊娠できたのになぜ自分は授かれないんだ、不公平だと泣き崩れる。そんなヘレンに寄り添い、一人が歌い始め段々歌声が増えていく(後で知ったけどケイト・ブッシュの「Running up That Hill」という曲だった)。「できるなら 神様と取引する 彼と私を入れ替えて」って歌詞が状況にぴったりで泣けてしまった。
作品内の時代背景だと、女性の人生は「結婚して子ども生んで専業主婦」って道筋でほぼ決まっていたんだと思う。そして今この現代、結婚・妊娠・仕事と大きな人生の分岐点が少なくとも3つある。それぞれの選択が違っても、個人的な不理解や恨みがあっても、女たちが手を繋いで励まし合えるときは必ず来るというメッセージに思えた。連帯の歌だった。だから、このシーンのあとにすべてをぶっ壊す暴力が権力によって振るわれる展開は一層ショッキングだった。

大原櫻子ちゃんの気合の入った芝居にしびれました。終盤、峯村リエさん演じるエマのがカギになるんだけど、それまで何かとキツく優しくないキャラクターだった彼女に、ある種の優しさや正義感が見える立ち居振る舞いですごく良かった。

2022年「エリザベート」感想

エリザベート」の11/23~27の公演が中止になってしまいました。やってらんねーーーじゃあ感想ブログを書こう!ってことで書きます。こういうのは勢いが大事。

手持ちのチケットを全部もぎってもらうことは叶わなかったけど、約1カ月半の公演期間、めちゃめちゃ楽しかった。
2019年は、私の世界は木村達成くんのルドルフを中心に回っていたから、たつルド以外に細かい感想が出てこなかったんです(最悪)。今年は甲斐翔真が出るし、またルドルフに全て持っていかれるかな~と自分の偏向を心配していたけど、いざ開幕したらそんなことなかった。ちゃんと全体的に楽しめた!
そんな私が特に心奪われたポイント3つについて書きます。

 

愛希れいかさんのシシィ

絶対自由要求!で攻めの姿勢をしっかり前面に押し出すシシィという印象はそのままに、歌も芝居も2019年からとんっっっっでもなく飛躍していた。

まず「パパみたいに」での自然体な佇まい。2019年は、15歳という設定以上に幼く役を作っている印象で、声とはしゃぎ方に園児っぽさがあった。それが今年は、年相応な15歳らしい15歳になっていた。
落ち着きがなくぴょこぴょこ飛び跳ねるのではなく、運動神経が良くて体が軽い子ならではの動き方。マックス(父親)の前では飾らずにいられるんだなと分かるナチュラルな声。「ママは言うことあるらしい、ハア…」の大きいため息が、本当にうんざりしてるニュアンスでかわいい。
マックスに対して、親だからというよりその生き方に憧れているからこその親近感があったように思う。「パパみたいになりたい」の歌い方は「なれる」という未来への希望があってとても好き。ここのハツラツとした爽やかで真っすぐな憧れが、「パパみたいになれない」コルフ島で効いてくるんです…。

「私だけに」はすごすぎた、圧巻。もちろん2019年もしっかり自分のものにしていたけど、今年はより歌いこなしていた印象。与えられた歌詞ではなく、自分の心から自然に発せられた言葉として歌っているのだなと感じた。
歌っているうちに目が涙でキラキラしてくるんだけど、目からこぼれる涙ではなくて、感情の高ぶりに興奮して無意識に出てくる涙っていうのかな。歌っていないときの表情だけでこちらが勇気づけられる。右の拳をしっかり握る立ち姿はもう戦士なのよ…。ラストの「私にーーーーーー!!!!」は百発百中で気持ちが良すぎた!!全世界への叫び。大砲。噴火。はかいこうせん。ビリビリと震える劇場の空気に鳥肌が立って、呆然としちゃうぐらいすごかった。

2019年から一番変わったと感じたのは、シシィが年齢を重ねたことによる芝居のグラデーション。特に「私だけに」の後、結婚2年目から3年目の変化が上手すぎた!時間としては1年しか違わないのに、この期間の「子供を生む・ゾフィーに奪われる・味方しないフランツ・また子供が生まれる・また奪われる」って出来事の過酷さが、1年という時間以上にシシィを変えた。
結婚2年目は「私だけに」の後だから、「皇后の務め」でゾフィーに抵抗したときよりは芯がしっかりあるんだけど、それでも言葉と態度で「子どもを返して!」と示すことしかできなかった。
結婚3年目、また子どもを生んで、奪われる。そして自分の美貌が王宮で生き抜くための、自分の要求を通すための武器になると気付く。折れない気持ちだけが強みだった女性が、自分の身を守り反撃するための牙を手に入れる。
2年目から3年目、舞台上の動線としては一度パネルの後ろに隠れるだけなんだけど、耐え難い苦しみを経験して、敵の強大さ・置かれた環境の厳しさを思い知り、酸いも甘いも噛み分け済みですって顔になるんだよ…(実際「甘い」経験はほぼなかったかもしれないけれど)。
表情だけじゃなく、声と姿勢も全く違う!声はトーンが少し低くなり、有無を言わせない迫力がついた。凛とした立ち姿で、女中に「下がって」と伝える手の動きに風格がある。
ほんの数十秒で、経験による人の変化をこんなふうにオーラで表現できるんだと、ちゃぴちゃんの演技力に本当に驚き感動した。

そして精神病院のシーン、2022年版でやっとその重みが分かったように思う。
ちゃぴシシィは強さと孤独が表裏一体だった。自身が発光すればするほど、後ろの影が濃くなる。勝利宣言をした「私が踊る時」の後なのに、なぜシシィはこんなに弱さを見せるの?と思ってしまいそうだけど、その影の部分に気付かされるのが精神病院なんだなと、とても納得感があった。
「無礼者!」と言われ、戸惑い声を上げて泣くヴィンディッシュを、ちゃぴシシィは自分の魂と重ねて見ているんじゃないかな。泣きたいときに泣き、叫びたいときに叫べない自分の魂の代わりに、ヴィンディッシュが泣いていると思ったんじゃないかなと、そんなことを考えながら見たシーンだった。

 

トートダンサー

今年のトートダンサー(TD)、すごくないですか???!
2019年に見たときは、正直そこまで強い印象は残ってないんだけど、今年は何かが違う。なんだろう、バランス?TDってこんなに視線泥棒だったのか。
8人でひとつの生き物として見せる場面と、それぞれの個性を発揮する場面がはっきりしていて、どちらも見応えがある。注目しだすと止まらなくなった。8人の見分けがつくようになるとますます楽しい。
特に「最後のダンス」での古川トートとの一体感にはめ~~ちゃめちゃ興奮した。トートがマントをサッと広げると同時に周りのTDが跳ぶから、TDがトートの衣装の一部のように見えたし、トートが支配するエリアがぶわっと一瞬で拡大したようにも見えた。
「最後のダンス」、トートばかり見ちゃう気持ちをこらえてぜひ一度全体を見てみてほしい。前奏ではTDはゆったり漂う黒い霧のような存在。曲が激しくなるにつれて実体を得ていって、跳んで!回って!フォーメーション変わって!跳んで!回って!と踊りまくるサビは、トートと共鳴した荒々しい野性味にテンションぶち上がること間違いなしです。

「愛と死の輪舞曲」は、やっぱりシシィに一目惚れするトートの表情が見たくて、これまではオペラグラスでトートを見ることが多かったんだけど、今回初めてTDにも注目したら、振付の素晴らしさとTDの表現力に本当に感動した。
技術的なことは分からないけど、楽曲と振付の親和性がとんでもない。トートの感情を増幅させたような、一目惚れの甘やかさと切なさがドラマチックに伝わるダンスなんだよー…。
「心に芽生えたこの思い 体に刻まれて」辺りから始まる、TDが2人1組のペアで踊るダンスがめちゃめちゃ好きだった!!特に「その時お前は俺を忘れ去る」で、客席側に向かってペアの片側が相手役を手で追い求める動き、大好きです………。山野・五十嵐ペアを特に見ていたんだけど、追う側の山野くんが必死に欲しい物を求める顔をしていてすごく好きだった。

そんなわけで、今年は推しTD見つけちゃった~~~初参加の山野光くん!
初めて見たのは「イン・ザ・ハイツ」で、そのときもとても良いなと思っていたけど、「千と千尋の神隠し」では見つけるのが難しく…。エリザのキャストが発表された当時は、「イン・ザ・ハイツの子だ!TD!わーい!」ぐらいだったんですよ。そしてマイ初日、「なんかやたら大きくて手足が伸縮自在な人がいるな?」と思ったらそれが山野くんだった。
結婚式のダンスパーティーから「最後のダンス」に切り替わるシーン、招待客が捌けると同時にTDが次々と登場してくるんだけど、山野くんは上手から下手に向かって竜巻のようなとんでもないスピードで回転して、最後に側宙!!するんです!!!!こんなんもう好きにならずにはいられない。
「私が踊る時」でシシィの覇気にやられて階段と床を転がりながら捌けるときの、人間離れした動きもずっと目で追ってしまう。背骨の柔らかさどうなってるんだ。
動物に例えると、豹と蛇と鷲のミックス(???)。大胆さ、妖艶さ、静けさ、獰猛さ、全部持ってる。
それに、独立運動でツェップスに取り憑き死の呪いをかける瞬間のセクシーな顔と、ルドルフが銃を手に取る瞬間の「おれ、こいつのたましい、くう!」と言ってるような目かっぴらいたワクワク顔がとても好きだった。TDのメイクがめちゃめちゃお似合いです。
ダンス・オブ・ヴァンパイア」のヴァンパイアダンサーズで見たいよ~~!!あの長い爪と牙をつけて、「Feel the night」で踊り狂うところが見たい。

 

甲斐翔真さんのルドルフ

初見は想定外にヨワヨワ皇太子で、何もできずに死んでいったというか…。ルドルフって超おいしい役だし、もっと爪痕残せるはずなのになぜ?と思ってしまうぐらいだった。
それから1週間もしないうちに印象が180度変わって驚いた。父への不満は態度ではっきり示すし、独立運動に希望を見出すし、マイヤーリンクのダンスも体がよく動くようになった。こっちの方が断然好き。

まとまらないので登場シーンを頭から順に書いていく。まず子ルドを見て顔を歪める「我ら息絶えし者ども」、良きです。ママに会えなくて寂しかった時代の自分を見ているんだもんね。

2幕、「おはようございます、皇帝陛下」の硬さよ。フランツと顔を合わせるとルドルフがピリッとしたモードに切り替わるから、これだけでどんな親子関係か分かる気がする。「お前は記事を書いたそうだな」と追及されて「知らない」で誤魔化せると本人は思ってるけど、目泳いでるしウソつくの下手…。
「証拠も揃ってる」と言われため息をついて頭を振る仕草で、「証拠集めされてた違和感に覚えがあるんだ」って分かるから好き。尾行されたり、部屋を荒らされたりしたのかな。

「ママと同じ意見が間違いだというの?」はいやに冷静で、フランツの地雷をあえて踏みに行ってるように見えた。このキーワードを出せばフランツが動揺すると分かって言ったんだろうな。

甲斐ルドの推しシーンひとつめ、「HASS」。理由は芝居がめちゃめちゃに良いから!帝国の危機を訴えたのに背を向けて逃げるフランツを失望した表情で見つめて、なんとかしなきゃ、でもどうすればいい?って戸惑いと焦りがおろおろした動きでそのまま伝わってくる。
自分の掲げる自由の元なら人々を幸せにできると信じてきたからハーケンクロイツの幕を引き下ろすのに、民衆と対峙すると、この憎しみの前ではそんなもの無力なんだと突きつけられる。客席側に振り向いて顔を歪めて、このときルドルフ自身にも怒りの感情が湧いたんじゃないかなと思うんですよね。なんで誰も分かってくれないんだ?と。
そして「落ち着け」と深呼吸をするんだけど、「闇が広がる」の前奏が迫る中、不安に襲われて呼吸が段々荒くなる。自分のことが分からなくなっちゃう。ハプスブルク崩壊の足音が聞こえてきて、胸をかきむしり耳を塞ぐ。蝕まれていく心が表情と動きだけで伝わってきて、ぐいぐい引き込まれた。

「闇が広がる」は、古川トートとは子ルド時代からの「友達」の親和性があって、山崎トートとは導く者と導かれる者としての主従関係が築かれた印象だった。
「友達を忘れはしない」で心の内側の弱い部分を見せているような、情けなささえ感じさせる笑顔になるから、ああトートの思惑通りですね…ってなる。

甲斐ルドの歌は「ハプスブルクの崩壊防ぐため 独立運動と手を結ぶ必要があるのだ」が一番好きです。
「闇が広がる」で見せたクラシカルなミュージカルらしい発声ではなく、スパンと直線的に響く歌い方に変えていて、そういう使い分け大好き~~~!!って毎回爆裂に沸きました。私、甲斐翔真の歌声の使い分け自在なところが本当に好きで。「必要が」の「が」は高いから地声で出すの苦労するかなと思いきや、音量を全く下げることなく「がーー!あるーーのだーー!」と歌い上げていて、スキル~~!!ここ好きが詰まっていて本当に好き(好きしか言ってない)。

独立運動のダンスは、東京公演の後半になると踊りが体にしっかり馴染んできたように見えた。体がそれ仕様になって、心技体がひとつにまとまった感じ。
ハンガリー国王!」で目をキラキラさせたり、トートが見せるエーヤンルドルフの景色に顔をほころばせたりするのがとても好き。ここ、所詮はトートが見せる幻想なのに2幕冒頭の「エーヤンエリザベート」と曲が同じだし重なる演出になってるのがキツイ。後でも書くけど、甲斐ルドはシシィと同化したいルドルフだから…。

ハプスブルク!」の名乗りからは、もう終わりだという絶望や後悔は感じられず、帝国の皇太子として決着を付ける責任感のある言い方だった。名乗った後、拳を握りしめて全身をわなわな震えさせているのは、またフランツに邪魔されたという怒りもあったのかな。フランツにぶつける「父上ッ…!!」は、失望させたくてやったんじゃないよ、分かってよって心の奥底の気持ちが含まれているように感じた。

そして「ママは僕の鏡だから」ですよ。185センチ・しっかりした体格の人間がシシィの視界に入るために背中を丸めておずおずと歌い始める。「この世界で安らげる居所がないよ」は、僕の苦しみはママの苦しみと同じでしょ、って意味の「鏡」に聴こえた。手に入らない自由を介して鏡合わせの二人。

「僕はママの鏡だからママは僕の思い全て分かるはず」から笑顔になる。これがなんというか、湿度のある笑顔で息子らしく甘える愛らしさや爽やかさはなく、媚びてるっていうか降参ポーズを取っている印象。どう見てもシシィにルドルフを受け入れる気はなさそうなのに、こんなに一気にさらけ出すってことは、きっとシシィと会わない期間が長すぎて距離感が分からなくなっちゃってるんだなと思った。

ここも芝居がめちゃめちゃに良いシーンなんだけど、「孤立無援 誰も助けられない」のあと、ハッ!と何かに気付く仕草を入れる。そして「ママだけが」のあとは、ワハハッて少し笑うの!なにそれ、なにそれ(´;ω;`)

ハッ!の気付きは、最初からシシィにフランツを説得してもらおうとまでは考えていなかったことの表れだと思った。自分の置かれた状況のどうしようもなさと、積年の寂しさを分かってほしい一心でシシィに会った。苦しくて味方が誰もいなくて、とにかく母親の温かさを感じたかった。
自分をさらけ出すうちにシシィがアウスグライヒに影響を与えたことを思い出して、フランツとシシィをつなげて「ママだけがパパを説得できる」「ママは昔ハンガリー助けた」と言ってしまった。ここで急速にシシィの心が離れていく。でも甲斐ルドはますます笑顔になって「ドナウ連邦を作ればハプスブルクを救える!」と歌う。甲斐ルドは、かつてハンガリーを救ったママに自分を重ねて、「ママみたいになりたい」んだなと思った。

シシィにすがった手が振り払われると、嘘?理解できない…って顔になる。そこにないシシィの手を追いかけて、手が空を掻く。この動きがめちゃめちゃ良かった、つらくて。

マイヤーリンクのダンスは初見からしっかり体が動いてて良かった!達成くんと同じく、汗が血飛沫のように見えてドラマチックな効果を生んでいた。必死に踊れば踊るほど死に向かって加速していくように感じた。

銃を片手で掴むこともあったけど、両手でガバッと勢いよく掴みに行く方が自ら選択している印象になって好きだった。古川トートは後頭部に手を回しガバッとキス。山崎トートは横顔に手を添えるキスで、違いが面白かった。どちらかといえば終始ルドルフに対して厳しめで一定の距離を保っていた山崎トートが、死の瞬間だけ優しくなるのがかなり好きでした。引き金を引く姿に悲壮感はなくて、誰もこの結末を変えられない不可侵なものなんだなと納得感さえあった。このシーンの呼吸さえ許されないような静寂と緊迫感が癖になる。

甲斐ルドに関して冒頭からざっと振り返ったら長くなった(それはそう)。やっぱり元気いっぱいに生きて死んでいくルドルフが好きです。

わーーっと言語化して気持ちがすっきりしました。名古屋・大阪・福岡は完走できますように。

芸劇シアターウエストとシアターイーストに違いがあるなんて知らなかった

先日、東京芸術劇場で開催された劇場ツアーに参加してきました。

www.geigeki.jp

回ごとに内容が微妙に異なるんだけど、私が行ったのはコンサートホールに入れる回。劇場施設全体の話も聞かせてもらえて、とても楽しかったです。芸劇がさらに身近に感じられました。
そんなツアーのスタッフさんの解説で気になる情報が。

 

スタッフさん「シアターウエストとシアターイーストはそれぞれ特徴があります。
シアターウエストは額縁のようなパネルとセリの機構があり、現代的なお芝居に向いています。
シアターイーストはパネルなどがなく真っ暗な空間で、自由度が高いです」

 

私「え!!!!シアターウエストとイーストって同じ劇場が2つ並んでるんじゃないんだ!!!!????

 

一応、一番好きな劇場は東京芸術劇場な私、己の視野の狭さを恥じる。ほぼ同じ劇場が2つ並んでいるのだと本気で思ってました。ウエストの額縁型のパネルなんて今まで一度も気にしたことなかった…。

ていうか、自分が劇場に足を踏み入れたときって、せいぜいステージの横幅・座席の配置・傾斜・天井の高さぐらいしか気にしていないかも。

後から劇場公式サイトを確認してみると、それぞれに特徴があるというのがしっかり書いてあった。最大座席数も結構違うんですね。

www.geigeki.jp

www.geigeki.jp

 

設備ベースでの違いがあるのは分かったけど、見る側としてはあまり実感がわかないのが正直なところ。
そこで、これまで見てきた作品から2つの劇場の違いを考えてみたいと思います。「こういう演出がしたいからこの設備の劇場でやりたい」みたいな使う側の条件は分からないけど、観客目線で振り返ったら楽しいかもしれない、私が!

 

シアターウエストで見たもの

  • 2015年3月「遠ざかるネバーランド
  • 2015年11月 DisGOONie「NEW WORLD」
  • 2015年11月 DisGOONie「Cornelia」
  • 2018年12月「スリル・ミー」
  • 2021年2月 イキウメの金輪町コレクション 甲プログラム
  • 2021年2月 イキウメの金輪町コレクション 乙プログラム
  • 2021年2月 イキウメの金輪町コレクション 丙プログラム
  • 2021年4月「スリル・ミー」
  • 2021年7月「クロードと一緒に」
  • 2021年11月 二兎社「鴎外の怪談」

並べてみて気付いたけど、セリを使った作品はこの中にないかも…?
「スリル・ミー」がイーストじゃなくてウエストなのめちゃめちゃ分かる~~!だだっ広い空間のイーストよりもパネルがあるウエストの方が合いそうじゃないですか。床が開いて稼働する今の演出はどちらでもできるのかな。

「クロード~」でも言えるけど、額縁型のパネルがあることで、ウエストはイーストより人工物っぽい空間になっている気がする。切り取られた画になるから、距離や時間的に観客と地続きの日常というよりも、その物語の世界に入っていく感覚が強いのかも。

 

シアターイーストで見たもの

  • 2015年8月 SP/ACE=project「WORLD」
  • 2016年4月 モダンスイマーズ「嗚呼いま、だから愛。」
  • 2016年8月「宮本武蔵(完全版)」
  • 2017年2月 空想組曲「どうか闇を、きみに」
  • 2018年5月 イキウメ「図書館的人生vol.4 襲ってくるもの」
  • 2018年7月 二兎社「ザ・空気ver.2 誰も書いてはならぬ」
  • 2018年7月 モダンスイマーズ「死ンデ、イル。」
  • 2019年6月 モダンスイマーズ「ビューティフルワールド」
  • 2020年2月「エブリ・ブリリアント・シング~ありとあらゆるステキなこと~」
  • 2022年1月 モダンスイマーズ「だからビリーは東京で」
  • 2022年5月 イキウメ「関数ドミノ」

イキウメは金輪町コレクションだけウエストで他はイースト。シアタートラムでも結構やってますよね。

モダンスイマーズはずっとイースト。ウエストのところで書いた「額縁型のパネルがあるから作品の世界が切り取られた画・物語として見えやすい」という解釈からすると、客席とステージの隔たりをなくせるイーストは、モダンスイマーズがいつも描いている「私たちが今生きるこの世界のどこか」と合っているように思えてくる。

いつかウエストでモダンスイマーズを見るときが来るとしたら、それがどんな作品なのか逆に気になる~!

この中で四方または三方を囲む座席配置だったのは、「どうか闇を、きみに」「嗚呼いま~」「エブリ~」な気がする、記憶違いだったらすみません。
「エブリ~」は客席参加型の作品で、客席とステージに段差がなく、椅子を円形に配置して真ん中の空間や客席の間を演者が歩き回る形式だから、ウエストではできない作品だったんですね。

natalie.mu

あと気付いたのは、イーストは「暗闇」がポイントなのかなと。
例えば「宮本武蔵(完全版)」は、武蔵が人の首めがけて刀を振り下ろす場面で終幕する。振り下ろし始めた、まさにその瞬間に照明がオフになり劇場が真っ暗闇になるんです。だから、武蔵がその人を殺したのか、ギリギリのところで踏みとどまったのかは観客に委ねられる終わり方になっていました。これがすごく良かった。
エストでも同じような暗闇は作れると思うけど、イーストの何もない「無」の空間がこの演出にはより適していたのかなあと思いました。

「関数ドミノ」は動画があるから分かりやすい。真っ暗な中に浮かび上がる究極にシンプルな舞台装置が超常的で、なんとも言えない不気味さを醸し出してる…。


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いち素人観客の考えたことなので的外れなこと言ってるかもしれないけど、こういう視点で作品を捉え直すことができてとても楽しかったです。

シアターウエスト・イーストの劇場ツアーは予定が合わず行けなくて残念。またぜひ開催お願いします芸劇さん!!

ミュージカル「next to normal」感想

初演もTENTHも見ておらず、この2022年版が初見だった人の感想です。Nチーム(望海風斗・甲斐翔真・渡辺大輔・屋比久知奈・大久保祥太郎・藤田玲)しか見ていません。
思いっきりネタバレしているのでご注意ください。

全体の感想

ざっくり

すごく好き!とか人生ベスト3に入る!っていうハマり方はしなかったけど、曲・演出・役者のどれも良かった!また日本で上演することがあったら、キャストが変わっても見に行きたいと思える作品。
これは完全に感覚値だけど、何度聴いても体に馴染まないミュージカル楽曲がある一方で、N2Nの曲はどれもスッと体に入ってきた気がする。日本初演版の映像を見てびっくりしたんだけど、ブロードウェイのオリジナル版と同じようにセットが3階建てだったんですね!クリエにこれが建ってたと考えるとすごいな。最前列の人、3階にいる役者の顎下しか見えないんじゃない?
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2022年版の、2階建ての家に見立てたセットが盆でぐるぐる回るのはかなり好きでした。盆ってだけでまずテンション上がるし。逆V字の屋根のようなパーツや左右の柱が近づいたり離れたりすることで、一見家のように見えても実は噛み合わない歪んだ空間が舞台上に現れて、それが登場人物の心情とリンクしてたように思う。「RENT」とは違って甲斐翔真が飛びついてもグラつかない堅牢なセットで安心感があった(笑)。
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初日を見てまず、(息子のゲイブがキーパーソンであることは確かなんだけど)これは母と娘の話だと思いました。ダイアナが不安定なときはナタリーも不安定になり、怒るときは怒るっていう、起因は違えど母娘が同じ感情の波を共有していたっていうのがひとつ。二人がセットの1階と2階に分かれるパラレルな位置関係の演出が多かったのも、そう思った理由です。
そして何より、ダイアナとナタリーの関係改善が、一家が再生するきっかけになるから。再びゲイブが見えるようになりかけたダイアナが助けを求めるのはナタリーで、ナタリーもやっと、ダイアナにとってInvisibleでなくなり、本当の意味で自分を見てもらえた。ダイアナがナタリーと向き合ったから、ナタリーも「普通の隣でいいのかも」と言えるようになった。完全な和解ではないし、傷ついた過去は消えないけど、今より良い未来へまず一歩踏み出した母娘が本当に素敵で、毎回温かい気持ちがじわーっと心に広がっていきました。
そして物語の最後、ダイアナから受け取った光"Light"を、今度はナタリーが家に灯すんですよね。真っ暗な家に一人でいるダンに、ナタリーが「光を灯そう」と語りかけて、電気のスイッチを押す。もう透明じゃなくなったナタリーだから、物理と感情どちらの意味でも家に光を持ってくることができた。この展開がすごすぎて、なんてよくできたミュージカルなんだ~~と思いました。しかも、スイッチを押すナタリーの手の辺りにちゃんと照明が来るんですよ。N2Nの照明デザインめちゃめちゃ好き。

何回か見ていく中で、その日の自分の気分によってフォーカスする関係性が自然と違って見えたのも楽しかった。特に公演期間の後半にいくにつれ、父と息子の関係がどんどん立体的に見えてきました。
私はどうしても甲斐翔真ばかり見ちゃってたんだけど、ダンへのアプローチが公演期間の前半と後半では別物に感じました。前半は、言ってしまえばダンを「ダイアナを回復させて自分と彼女の関係を壊そうとする敵」とみなして、威嚇の姿勢や警戒心が強く表れていた。
でも後半では、ダンが自分を深く愛していたんだとゲイブ自身が初めて知り、ダイアナが出ていって抜け殻になったダンを今度はゲイブが受け入れる、父と息子のケアの関係がすごく印象に残った。例えば「How Could I Ever Forget?」でダンが初めてゲイブの死について語った瞬間、ダンに嫌われているという誤解が溶けていくゲイブの表情の変化がめちゃめちゃ良かった。
あとは、「I've Been」で一人で家の中を片付けるダンを2階から見つめて歌声を重ねるゲイブの姿が、後々の二人の歩み寄りに効いてたなーと思う。この声の合わせ方が、「I Am the One」のようなバチバチの対立とは真逆で、相手の状態を察知して自分の音を微調整しているような、思いやりがないとできない感じ。ダンの孤独も苦しみもゲイブがじっと側で見つめ続けていたのが分かるから、終盤の「I Am the One rep.」でボロボロのダンを分かってくれるのはゲイブだけだよなと、二人の精神的な繋がりにすごく納得感があった。

ゲイブはダイアナ個人の幻覚ではなく、グッドマン家全体の抱えた歪みや傷、同時にあの家にすみつく座敷わらし的な存在なのかなと思ってる。ダイアナがゲイブに会いたいと強く執着していたから見えてただけで、トリガーさえあれば家族の誰にでも見えるんじゃないかな。ダンはダイアナファーストで生活を送る中で、ゲイブをなくした自分自身の傷を見て見ぬふりしてしまったけど、「ゲイブを愛してた、側にいた」と初めて認めることで、やっとその傷をケアするスタートラインに立てた。まず自分の心の声を聞いて、痛いところはあるのか、それはどこかを分かってあげることが大事なんですよね。現代人無理しすぎちゃうからさ…大丈夫って言ってる人ほど大丈夫じゃない。

色の解釈

衣装や照明に象徴的に使われる赤・青・紫・黒などの色について。いろんな人が言ってるように、それぞれの色が表すものは、赤は正常から最も離れた状態、怒り、クレイジー。青は正常、紫は2つの間(next to normal)、黒は死だなと、なんとなくは見ていて感じました。特にナタリーを中心とした色の変化と、ダンとゲイブがラストで同じ赤を着ていた理由に絞って書きます。

ナタリーの衣装の色の変化
ナタリーの衣装には、彼女の複雑さがそのまま表れてたように思う。特に赤の塩梅が絶妙!冒頭、部屋着のインナーとして赤いキャミソールを着ているのは、自分のクレイジーな部分を覆い隠してるからだろうし、学校へ持っていく赤いリュックは、ナタリーが文字通り背負っている怒り・クレイジーさの象徴なんじゃないかな。これがリュックというのがミソで、ダイアナのように衣服としてまとって表層に表れているわけじゃない。鞄だから状況により降ろせ(隠せ)てしまう。ナタリーはそうやって、自分のグチャグチャした感情を抑えて生きてきたんだなと思います。
だから、ヘンリーが待つパーティーへ向かうとき、その赤いリュックをダイアナに渡し、コートの中には青いワンピースを着ているのがもう…めちゃめちゃ美しい演出じゃないですか!?!!「Everything Else」で歌っているように、調和の取れた完璧なソナタを好んでいたナタリーが、ヘンリーとの出会いでインプロ(即興)することを覚えた。つまり完璧を理想としていたのが、そこからズレる選択肢も有りだと思えるようになった。そして、やっと自分を「個」として見てくれた母親に背負っていた重荷を渡す。流れが綺麗すぎる~~…。
しかもヘンリーは、青いワンピースを着たナタリーを見て「青が似合う」と言ってくれるんです、愛じゃん…。でも、これで「青になれて良かったね、めでたしめでたし」で終わらない。ナタリーの不安は完全には消えなくて、「自分もいつか母のように気が狂うかも」とヘンリーを拒否しそうになるんだけど、ヘンリーはそれさえも受け止めて「なればいいクレイジー」と言ってくれる、夢彼氏なので。
ラストシーンでは紫を着ている二人が、これから青になっていくのかどうかは分からない。でも、ナタリーが「青にならなきゃ」と一人でもがくことはなくて、「ヘンリーと一緒なら青になれるかも」って前を向けるようになったんですよ。離れてラストを迎えるダイアナとダンに対して、ナタリーとヘンリーは対比の位置にある希望そのものなんだなと思います。

ダンとゲイブがラストで同じ赤を着ていた理由
これ、私は「ダンはまだ分かるけど、なんでゲイブも赤なんだろ~?」と疑問に思ったんだけど、みんなどう???
赤は正常から最も離れた状態を表しているのに対して、ダンの衣装はグレーや茶色といった当たり障りのない地味な色。常に自分の感情に蓋をして「落ち着け」と言い聞かせているような状態なのだと思う。本当に正常でなんの問題もないメンタルだったら、青を着ているだろうし。
で、ダイアナが家を出て行き、生きる意味を失ったダンは心のバランスが完全に崩れ、それを表すかのように衣装もグレーや茶色から赤いシャツに変わります。すると「I Am the One rep.」でゲイブに呼びかけられ、見えないふりをしてきた自分の問題といよいよ向き合わざるを得なくなる。
上で書いたこととダブるけど、ダイアナをケアすることに必死で、息子をなくした傷は自分も抱えていたのに、向き合う余裕がなかったんですよね。そうして血が垂れ流しのまま放置されてきてしまった傷を、「ゲイブを愛してた、いつでも側にいた」と言葉にして認めることで、ゲイブが見えるようになる。傷なんか「ない」と押し込めるのではなく、まず「ある」と認識しないと、癒やすこともできない。
だから、ラストでダンが赤を着ているのは、クレイジーになって「しまった」というマイナスの意味ではなくて、自分の痛みにやっと気付くことができた、一歩踏み出せたことを意味してるんだと思うし、そう思いたい。もっと言えば、躁状態だった冒頭のダイアナが着ていたのは目が痛くなるような攻撃的なきつい赤だったけど、ダンはくすんだ赤を着ているんですよね。その辺りも、ポジティブなニュアンスを含んでいるのかなと。
そしてゲイブも同じくくすみ寄りの赤を着ているのは、自分がダンに愛されていたと知ることで、ダンとの間にあった壁がなくなり、悪い意味でなくダンにとっての異常さの象徴になったから。ダンはこの後、専門家に自分の話を聞いてもらって、徐々に青か紫に戻っていくだろうけど、その過程でゲイブがまた見えるようになったり、消えたりしていくんだろうな。だから今は、ダンとの繋がりを象徴する意味でゲイブも同じ赤を着ているっていうのが私の考えたところです。

「完璧」「飛び立つ」などのキーワード

歌詞やセリフで繰り返し使われる言葉がいくつかあるなと思ったので、それについて。
「完璧」は、例えばダイアナの「完璧で理想の家族」、「あなたは誇りよ perfect plan」、ナタリーの「弾き続けるの完璧まで」。
「飛び立つ」は、ゲイブの「鳥は空を飛び、あなたはここに留まる」、ダイアナが歌う「So Anyway」の「飛び立つ」。
「完璧」が出てくるのは、やっぱり各々が理想を求めすぎて苦しくなっちゃってるとき。そしてダンの庇護下の家に「留まる」ことから逃れ、自分一人で問題と向き合うためにダイアナが取った「飛び立つ」という選択肢。こういう繰り返し出てくる言葉だけを追っても、N2Nって、思い描く普通になれなくてもがく人たちが、今いる窮屈な場所から飛び立ち、完璧じゃなくていい、普通の隣でもいいと思えるようになる話だと解釈できるかなあ。

甲斐ゲイブ

オタクによる甲斐ゲイブ褒めのターンです。
約一年前の「ロミオ&ジュリエット」、昨年秋の「October sky」どちらも主演で、N2Nは久しぶりに主役じゃなかったんですよね。
ロミジュリは、本人にそのつもりがなくても集団の中で目立つ"""特別"""オーラがめちゃめちゃに活かされてた。「October sky」では、ダイヤの原石だった男の子が夢を見つけ、どんどん光り輝いて回りを巻き込み、上昇していく過程が鮮やかでした。
こういう舞台上での存在感って甲斐翔真の大きな強みだと思うんだけど、今回は前提としてダイアナが主役でゲイブはその息子。しかも死んでいるから、ダイアナ以外のキャラクターとは会話したりっていうやり取りがほぼない。作品の中でどういう位置にいればいいのか、それぞれのキャラクターとどう関わればいいのか、正解はないしすごく難しかったんじゃないかな~と、オタクは勝手に思ってます。
で、今振り返ってみると、甲斐ゲイブはダイアナの精神状態に合わせてその存在の濃さをきちんと変えていた。ダイアナがハイでゲイブとの結びつきが強いときは、ゲイブも本当にそこにいる一人の人間のように生っぽさが増し、ダイアナに忘れられてからは、ギラギラした生命力を全く感じさせない虚しさに満ちた佇まいに変化していた。前述したような甲斐翔真自身の魅力的なオーラは、究極に理想化された幻覚の息子像を成立させるのにちゃんと活きていた。ダンやナタリーと関わるときも、ゲイブから何かを始めるんじゃなくて、相手の出方を見て自分のポジションを調整するというか、バランスをめちゃめちゃ意識して芝居していたように見えたんですよね。(これは甲斐ゲイブだけで成し得たことじゃなく、演出や相手の芝居あってこそだけど)上手いな~そんなこともできちゃうんだなって感動したよ…。

ここからは書きたい曲について好き勝手に書く。
「Just Another Day」の「世界は僕に従う」を歌うとき、軽くうんうんと頷き腕を広げる仕草をするんですけど、これがマジで覇王キング天下人でしかなくて大好き。私は甲斐翔真がこういう選ばれし者のオーラを発揮する瞬間が本当に好きです。だからビクター・フランケンシュタインをやってくれ。
躁状態のダイアナを、ドア枠にもたれ掛かり腕組み彼氏ヅラで眺めてるのも超好きだった。兵庫ソワレの席が下手サイドだったのでこの表情がよく見えたんだけど、シンプルに顔が好きだなあとしみじみ味わってました。

「I Am the One」、甲斐ゲイブが最初から「ども、本命彼氏でーす」って余裕かまして出てくるのでヤバかったです。歌い出しの「ヘイ、パパ。僕さ」は薬棚に肘を付き、「見えないの?」で手すりを掴んで片足体重の前かがみになる、これ以上に「余裕」を表現する動きあります?
東京公演の最初の方は、ダンに対して「(ダイアナにとって)僕がthe oneだ!」と張り合っていて、剛と剛のぶつかり合いでした。でも途中から戦法が変わって、ダンの剛に甲斐ゲイブは「柔」で対応し始めたんですよ、賢いね~!ゲイブが「ダンはあなたのこと全然分かってくれてないね^^」って下げるから、ダンの「僕が!僕が!」が気持ちの押し付けに見えてしまう。甲斐ゲイブの「僕が」は優しくて、猫がごろにゃ~んと甘えるように手を握ってすり寄ってくるから…恐ろしい子…。

「I'm Alive」は、回を追うごとにあの複雑なセットを使いこなし、仕草や体勢の自由度を高めながら歌うフィジカルに惚れ惚れしてました。手足が長いだけじゃなくて瞬発力もあるから、ジャングルで狩りをする大型の肉食動物みたいだった。舞台を降りればゴールデンレトリバーなのにね。
東京公演の途中から「欲望・腐敗・破壊者さ」のそれぞれに表情をつけるようになりオタク大興奮。特に「腐敗」で堕落した顔になったと思ったら、「破壊者」で口角を意地悪く上げて、見えないリンゴをグシャッと潰すように手を握るのが良すぎた!!!!大好き!!!!天才!!!!直後の「癒やす」でナタリーに後ろからねっとり寄っていくのも怖くて好き!!!!

「There's a World」は、ダイアナの両肩にただ手を置くだけじゃなく、人差し指~小指は固定して、親指だけで肩をポンポン撫でてたのがなんだかハチャメチャに良かったのでここで記録しておきます。

「Aftershocks」は私かなり好きなんですよね。胸がキリキリと締めつけられるような緊迫感のある歌声が癖になる~。でも「記憶は消せても僕は消えない」というゲイブなりの執着があり、ECTの治療を嘲笑しながら、忘れ去られることへの怯えも滲ませる。1幕でイケイケだったゲイブが初めて弱さを見せるシーンだと思う。ただ寂しい自分の気持ちだけじゃなく、根本的な治療には至ってないよね?と俯瞰して、「記憶を上書きすれば前より良くなるかも~♪」してる家族に疑問を投げかける感じが良かった。

「I'm Alive rep.」は通常版の「I'm Alive」があるからこそ映える!ダイアナとの精神的な繋がりが強かった無印に対して、リプライズは明確にダンへ「僕の名前呼ぶまであなたは僕を操れない」を主張する。ラストに向けて物語が急展開する場面だから、相応のエネルギーが必要だと思うんだけど、しっかり最後のロングトーンでぶっ放してくれてました、ラブ。「アイマァラーーーーーーーーーーーーアァイ!!!!」で2階の柱を掴んで何かを蹴り出すように片膝を上げて終わる動きがめちゃめちゃ好き。

「I Am the One rep.」は、通常版はダン→ダイアナ←ゲイブへ主張する曲だけど、リプライズだとゲイブは一貫してダンへ、ダンはダン→ダイアナが途中でダン→ゲイブに変わるのが本当によくできてる…!ダンはダイアナにとってのthe oneになろうと努めてきたけど、じゃあ誰がダンを支えるthe oneになってくれるの?って話じゃないですか。それは「I've Been」などでダンの孤独を見つめてきたゲイブにしか入れない位置なんだよね。17年間のすれ違いが昇華したかのような熱量×熱量の歌唱が毎回すごかった。

他のキャストについて

力尽きたので簡単にですが…。
望海さんが「I Miss the Mountains」で見せる望郷のニュアンスが大好きです。ダイアナが懐かしむ山々、自然の風景がどんなものなのか、手に取るように伝わってきた。
私はダンに対して割と厳しい目線を向けちゃうので申し訳ないんだけど、有害な無自覚さを演じるのがめちゃめちゃ上手いですよね渡辺大ちゃん。あと歌が超上手くなってた…!
屋比久ちゃんの一筋縄じゃいかない女の子の演じ方が大好きなので、ずっとナタリーのこと応援してた(泣)。「Superboy and the Invisible Girl」の一曲で見せる抑揚が素晴らしかったです。
大久保くんは本当に良い芝居をする…!パーティーに来るナタリーをキョロキョロしながら待ち続け、見つけた瞬間目に涙がみるみる溜まっていくの超良かった。ナタリーのことは君に任せた。
藤田さんのDr.マッデンは、最終的にダイアナにはマッチしなかったけど、合う患者にとっては誠実で冷静で良い先生なんだろうな。ロックスターのシャウトで顔を左右に細かく振るのツボでした。


あれこれと解釈できる作品はやっぱり楽しいですね。もしまたWチーム制で再演あったら両チームとも見ておきたいな~。

モダンスイマーズ「だからビリーは東京で」感想

2019年「ビューティフルワールド」ぶりの劇団公演ということで楽しみにしてました。めちゃめちゃ満足、超良かった。ネタバレあり感想です。

www.modernswimmers.com

 

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あらすじ

2017年夏に見たミュージカル「ビリー・エリオット」をきっかけに役者を志した大学生の石田凛太郎が、傾きかけの劇団、ヨルノハテの入団オーディションを受ける場面から始まる。演技審査などもなくあっさり合格し、新作の稽古にやる気満々で参加する凛太郎。しかしヨルノハテの作演・能見の描く世界観はぶっ飛んでいて、脚本を読んだ他の劇団員(住吉・長井・山路・久保)からは不満の声が上がる。挙句の果てに泣き出すメンバーも出たり、能見自身も話の続きが書けず土下座して暴れたりするが、なんだかんだヨルノハテには青春っぽい雰囲気が漂う。
凛太郎は一年に一度、飲食店を営む父親に会いに行っている。父親はアルコール依存症の治療中で、凛太郎の母とは一緒に暮らしていないらしい。
よく分からない作品の稽古が進む中、住吉が今回の公演に出られないと言い始める。以前オーディションを受けた事務所から声を掛けられ、その事務所がヨルノハテでの活動を良く思っていないという。突然の出来事に荒れる劇団員たち。公演は結局延期になり、やがて2020年春「不要不急の時代」がやって来る。

 

ざっくりした感想

コロナ禍を描いた作品はいくつか見てきたけど、こんなにわざとらしくなく軽快で、でも同時に現実もしっかり感じさせられたのは初めてだった。
「ビリー」の炭鉱と、鳴かず飛ばずの劇団、それにコロナ禍っていう3つの環境の閉塞感が、どれかが強く押し出されるわけじゃなく混ざり合っていたので、大げさすぎる「コロナ禍の話」になっていなかったのが逆に良かったと思った。

演劇の世界に飛び込んだ凛太郎は、物語が進むにつれてビリーとはどんどんかけ離れていく。
ウィルキンソン先生という素晴らしい指導者に出会うビリー、世界観強すぎな売れない劇団に入った凛太郎。バレエの才能があったビリー、(恐らく)芝居の才能はなさそうな凛太郎。自分のダンスで父親を変えたビリー、父親はクズなままの凛太郎。
一作品も見たことない劇団に半ば勢いで入ったんだから、まあそうなるよねなんだけど、つらい。でも、凛太郎があまりに一生懸命に稽古するし、「セリフ掴んだかもしれません!」ってキラキラした瞳で言うもんだから、こっちも「ああ~楽しそうでいいね」って気持ちにもなる。人間の愚かさと、愚かゆえのおかしみを書くのが残酷なほど上手い蓬莱竜太…。

凛太郎が何度も口にするセリフ「助けてください!僕はこんなところに居たくないんです!僕はきっとどこかにたどり着きたいはずなんです!ここはその途中の場所のはずなんです!」。元々は能見が書いた意味不明な脚本内の言葉なんだけど、コロナが拡大してからの場面で凛太郎がこのセリフを言うと、重みが全く違う。自分の力ではどうにもならない渦に飲み込まれて、ギリギリ溺れないようにもがくことしができない若者の言葉。
それに、凛太郎自身の家族に対するままならなさとか、若者が未来に抱く不安みたいな、コロナだけじゃないいろんな対象へのモヤモヤと、まだ生きているからこその諦められなさを内包した言葉で、このシーンたちはすごく印象に残った。

最後、この作品自体が、能見が書いた「劇団ヨルノハテの物語」であることが明かされて、冒頭の凛太郎のオーディションのシーンに戻るんですね。同じやり取りの繰り返しなのに、「ビリー・エリオットのどういうところが良かったんですか?」の問いに答える凛太郎の表情が、最初と最後で全く違う。このシーン全てがめちゃめちゃ良かった…。最初で最後の、ヨルノハテでの公演のラスト。もしかしたら自分の人生で最後かもしれない公演。演劇をやる楽しさを知ってから語る「ビリー」の魅力。「ビリーの頑張り、姿勢にブワッときた」のに、自分は結局ここで何をしてきたんだろうって気持ちもあったかもしれない。そういう、いろんな気持ちが混ざった涙が凛太郎の目から流れていて、ここは私もちょっと泣けてしまった。

これを書きながら気づいたんだけど、「ビリー・エリオット」の公演ホームページトップにあるコピーが「このミュージカルは、人生を変える」なんですよ。思わず「うわ~~、、、」って声が出てしまった。だって「ビリー・エリオット」が凛太郎の人生を変えて、そんな凛太郎の人生を切り取った作品を私は見て、この観劇体験は確実に私に影響を与えている。その流れを強く強く感じた。現実とフィクション両方から生まれた波紋がぶつかる狭間に巻き込まれたみたいな、不思議な気持ちになった。

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あと「お年玉企画」として、開幕から5公演の来場者に、「だからビリーは東京で」の戯曲と、人形劇ムービー「しがらみ紋次郎」の映像・絵コンテがダウンロードできるQRコードとパスワードが書かれた紙を配布してくれました。なんて太っ腹なの!戯曲には、公演では採用されていない幻の別パターンのラストも書かれてたけど、私は上演パターンの方が好きです。別パターン、能見の世界観が強すぎると思う。

 

登場人物について思ったこと

・石田凛太郎/名村辰

「ビリー」を見て、ぐわーっと熱いものがこみ上げて居ても立っても居られなくなっちゃう経験にはとても共感した。ポジティブなエネルギーをもらうと同時に、現実の厳しさに立ち止まって打ちのめされる気持ちも。

凛太郎が「Electricity」を歌うところは、ビリーにとってのバレエが凛太郎にとっての演劇なんだっていうのがめちゃめちゃに伝わってきてとても良いシーンだった。歌はぐちゃぐちゃなんだけど、歌わずにはいられないというかここでこの曲を歌う必然性があった。ちなみに日本語歌詞は高橋亜子さんのと同じでした。

2017年の「ビリー」は行けなくなった知人から譲ってもらったチケットで見に行ったと言ってたけど、2020年の再演は見に行けたのかな。S席14,000円、A席10,000円のチケットを、ウーバー配達員(あまり稼げてなさそう)の凛太郎くんは買えたのかなと、コロナ禍の貧困を考えてしまった。ちなみに保管してあるチケットを確認したら2017年公演のS席は13,500円でした。値上がり(死)。
あと、配達中に凛太郎くんが事故に遭うんだけど、ウーバー配達員って労災や雇用保険の対象にならないとのニュースを以前読んだことがあるので、治療費とか相手の車の修理費とかどうするんだろうって意味でも心配になった。いろんな人がいろんな傷つき方をしてきた2年間なんだな改めて感じてしまった。

 

・住吉加恵/生越千晴(ヨルノハテの劇団員。韓国人の彼氏がいる)

能見の書いてきた意味不明な脚本に「私が見たときみたいな作品に戻ったらいいんじゃないですか!?」って言ってたから、元は純粋にヨルノハテが好きで入団したんだよな…。なんとも言えない気持ちになる。さっさと見切りつけて退団すればいいのにそうしない、できないのは、一度は惹かれた劇団だからそんな簡単には捨てられないってのもあるし、なんだかんだ居心地が良くて動きたくないからだろうなあ。

 

・能見洋一/津村知与支(座付きの作演出家)

何を書いたらいいのか分からなかった能見が最後に選んだテーマが「自分たちについての物語」で、しかも最後まで書ききって形にできたことは、能見にとってひとつ突き抜けたというか、きっと救いになったんだと思う。劇団ヨルノハテがなくなっても、何かしらの形で脚本は書き続けていくんじゃないかなあ。
演劇を続けている理由を聞かれて、「これ(演劇)でしか自分を褒められない」と答えるんですよ。"他人から"褒められないんじゃなく"自分を"褒められないって自覚してるところは好きだった。あと、凛太郎が一度も舞台に立てずに劇団が解散しそうになったとき、「(凛太郎に)演劇を知ってほしい」と絞り出すように言ったのもすごく良かった。演技経験のない凛太郎が、自分の脚本に真っすぐぶつかってきてくれるのが嬉しかったんじゃないかなあ。

前から思ってたけど、津村さんと蓬莱さん雰囲気が似てませんか?劇作家の役だと一層蓬莱さん本人にしか見えなくて、「書けない!」って大暴れして慰めてもらってる場面が面白すぎた。

 

・長井進/古山憲太郎(ヨルノハテの劇団員。山路真美子と十数年同棲中。家庭教師のバイトをしている)

悪人ではないんだけど、結果としてどうしようもなくムカつくこの人。稽古や話し合いの場面では居るのか居ないのか分からないような存在で、あいまいな笑みを浮かべて乗り切るタイプ。
ところがコロナ拡大と共にリモートでの家庭教師の仕事が急増して、収入も数倍になり、仕事に生きがいを見出してしまう。コロナ禍での劇団での活動をどうするかって話になったときの、「受験生受け持ってる責任があるから…俺が倒れるわけにはいかないのよ」って発言、理屈はマトモなんだけどこれまでのフワッとした長井を思うとなぜかムカつくんですよね(笑)。劇団を辞め、山路との同棲も解消しますって言い出して「けじめだから!」と突然お金をばらまくの本当に面白かったけど本当にムカついた。そういうことじゃねえんだよ。大真面目な顔した古山さんの芝居も絶妙だったな~。でも、長井みたいにコロナがきっかけで人生が違う方向に転がりだした人もきっといるんだろうね。

 

・山路真美子/伊藤沙保(ヨルノハテの劇団員。長井進と同棲中。久保乃莉美とは小さい頃からの幼馴染)
・久保乃莉美/成田亜佑美(ヨルノハテの劇団員。山路真美子とは小さい頃からの幼馴染)

この二人は関係が濃すぎるのでまとめて書く。

小さい頃から家が隣同士で誕生日も近くて「マミノリ」コンビと呼ばれていた二人。劇中、それぞれの独白の形で乃莉美が真美子をどう思っているか、真美子が乃莉美をどう思っているかが明かされるんだけど、その内容がお互いで真逆なんですよ。
例えば、小さい頃各々の母親と4人でファミレスに行ったとき、乃莉美目線だと、先にラザニアに決めたのは乃莉美なのに、真美子がゴネたせいで結局乃莉美はメニューを変えざるを得なかった。これが真美子目線だと「私が先にラザニアにしないと乃莉美はメニューを決められなかった」になる。この件については、どちらが本当のことを言ってるのか分からないんですけどね。

乃莉美はいつも真美子に振り回されて、何をするにも先に真美子に取られて、結果「マミノリ」と同じ順で乃莉美が後からついていく形になってしまう。
真美子はそもそも何でも自分で決めたがるタイプ。自分が優柔不断な乃莉美の「面倒を見て引っ張ってあげてる」と思ってる。おまけに乃莉美は長井のことが好きなのに、真美子は長井と同棲している。

この…なんて言うのかな…友情じゃなくて徹底的に女性のすれ違いを描く目線が、蓬莱さん底意地が悪いなあと思ってしまった。コロナ禍の孤独感や断絶がきっかけで二人のすれ違いが明るみに出るっていう展開だから余計に。フィクション世界の女性みんなが助け合う必要があるとは思わないけど、二人のズレを面白がる視線を感じてしまって、意地悪だなあと思った。モダンは男性の劇団員が多いから、ゲストを数人入れるとしても本公演だと女性の友情や協力を描きにくいのかな。私が見たこれまでの作品でもそうだった気がする、気がするだけだから違うかも。

 

・石田恒久/西條義将(凛太郎の父)

ず~~っと本当~~~~に嫌だった。凛太郎と父親のシーンになる度に気持ちが沈んだ。ずっと最低で最悪だった。アルコール依存症モラハラDVのコンボ。発言内容だけじゃなく、言い回しとか声の大きさに嫌悪感しかなくて、すり鉢に放り込まれた心がすりこ木でじゃりじゃり潰されていくような気持ちになった。西條さんこういう芝居上手すぎ。
あと、出てこないけど凛太郎の母親にもイラついた。純粋に疑問なんだけど、こんな男となぜ離婚しない…?凛太郎を定期的に恒久の元へ行かせ、自分の代わりに様子を確認させてるってどういうことよ、息子を犠牲にするな。凛太郎、両親と適度な距離をとって生きていってほしい。

 

チケット情報

1/30(日)まで公演は続いて、後半日程の席は結構残っているそうなのでチケットのリンク貼らせてください。一般3,000円だよ!安い!平日ソワレ18時30分開演。

自由席で、開演30分前集合の整理番号順の入場です。会場は芸劇シアターイーストだけど、全列に段差がある座席のセッティングになってるので、整理番号の入場に間に合わなくてもある程度見やすい席には座れると思います。

感染者がごりごり増えてきてる状況だけど、いろいろ事情が大丈夫で、もし興味あればぜひ見てほしいです。

ぴあ:

https://t.pia.jp/pia/ticketInformation.do?eventCd=2133466&rlsCd=001&lotRlsCd=

カンフェティ:

https://www.confetti-web.com/detail.php?tid=64188&

 

最後に、私が見た2017年「ビリー・エリオット」のキャスボを。凛太郎はどのビリーで見たんだろう。

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"見た"と"買った"で振り返る2021年

見た演劇、見た映画、買って良かった物で今年を振り返ります。

演劇

振り返って印象に残ってるのは「スルース」「ジェイミー」

「スルース」はあのヒリヒリした劇場空間がたまらなかった。1月に見た作品なのに迷うことなく良かった作品にピックアップできる。Toxic Masculinityが根底にへばりついた古い価値観の話ではあるんだけど、吉田鋼太郎柿澤勇人の二人ともそれを自覚的に演じてるのが伝わったので、今これをやる?みたいな嫌悪感がなく純粋に楽しめた。

「ジェイミー」は作品の放つメッセージがとにかく好きだった。「自分らしく生きる」ってフレーズになんとなく感じていた居心地の悪さを解放してくれた。今年は自分を抱きしめる方法のヒントをくれるような言葉をずっとエンタメに求めてた気がする。プリティの、自分がシンプルでいられるからヒジャブでいると堂々と話す姿、ジェイミーが着飾った奥にいる自分を見つけて愛してあげる姿に本当に勇気をもらった。

 

映画

映画館で見たものはこちら。当社比で結構見た気がする!

・ヤクザと家族
・藁にもすがる獣たち
・松竹ブロードウェイシネマ「キンキーブーツ」
・東京卍リベンジャーズ
孤狼の血 LEVEL2
・インザハイツ
・君は永遠にそいつらより若い
・tick, tick…BOOM!
・偶然と想像
・Dear Evan Hansen
・ただ悪より救いたまえ

ベストを選ぶのは難しいけど、印象に残ってるのは「ヤクザと家族」「tick, tick…BOOM!」「偶然と想像」かな。

「ヤクザ」はなんと言っても「仁義なき戦い」オマージュと思われるタイトルバックの絵力がとんでもなかった。「こういう生き方しかできなかった人たち」の話はやるせなくて苦しくなる。なぜこうしなかったとか、こうすればよかったとか軽々しく言えない。北村有起哉が優勝でした。

人生で何かを成し遂げたいと切望する人の気持ちに共感はできないんだけど、「tick, tick…BOOM!」はそれが「ミュージカルを作る」という私にとって身近なエンタメに沿っていたので珍しく刺さりました。ttBを見ると、「RENT」のSeasons of Loveの歌い出し「Five hundred twenty five thousand six hundred minutes」の受け取り方が変わってくるよね…。30歳という期限が迫る感覚、秒針の音があった上で「一年を数える」切実さ。

「偶然と想像」は軽妙なんだけど重厚で、不思議な映画だった。そしてセリフが良かった…!3本構成の短篇集で、特に3本目「もう一度」がとても良いシスターフッドだった。失業中の女性と専業主婦の女性が偶然出会い、お互いの学生時代のちょっとしたしこりを共有して手を握り合う話。甲斐翔真が出演してるから見ただけなんだけど、見れて良かったです。まだやってる劇場もあるみたいなのでぜひ。

guzen-sozo.incline.life

 

買った物

ポッドキャスト

いきなり「買った」かどうか微妙なものだけど…。ジェーン・スー堀井美香の『OVER THE SUN』」「味な副音声~voice of food~」を聞いてます。
この2番組に出会えて本当に良かった!「OVER THE SUN」は「おばさん」のもじりっていうのが最高だし、太陽の向こう側を目指していくというコンセプトだけで元気が出る。聴くと絶対もっと元気をもらえる。「負けへんで」精神のおかげでこの先もなんとかやっていけそうな気がする。
「味な」はそもそも平野紗季子さんの声が可愛すぎる。女性の可愛い声が大好きなのでいつも癒やされてます。好きなことを真剣に語るって良いなあと思わせてくれる。聴くと必ずおなかが空くので要注意。

・オーダーメイドのインソール

当方外反母趾なんですが、進行を少しでも遅らせたくてオーダーメイドのインソールを作りました。長距離歩いても足が疲れにくくなったし、膝下をねじりながら歩く気持ち悪い癖が矯正されたと思う。
外反母趾、今はまだ痛みが出るまでは進行してないけど、いつか歩けなくなって手術するはめになるんじゃないかと怯えてる。調べると整体とかテーピング矯正とか、治療するやり方はいろいろあるみたいだけど情報が多すぎて困ってます…。

・トリガーポイント「MB2 ローラー・マッサージボール」

muellerjapan.com

小さいボールが2つ繋がった変な形の体ほぐし器具で、首や脊柱起立筋をほぐす用にパーソナルトレーナーにおすすめされた。デスクワークしてる人は一家に一個あっていいものだと思う。
これのすごいところが、ボールの幅が2段階で変えられるんですよ。腰~肩甲骨までは広い幅でほぐして、幅を狭くすれば肩甲骨の内側までゴリゴリ転がせる。さらに背骨だけじゃなくお尻ほぐしにも大活躍。フォームローラーだと届かない細かいところまで入り込んでくれます。

・エトヴォス「ミネラルクラッシィシャドー メープルガーランド」

etvos.com

イエベ秋の中でもくすみにくすんだ色が似合う私、このアイシャドウがどんぴしゃでした。右下の柿っぽいイエローが特に優秀で、手持ちの微妙な色のシャドウもこれの上に重ねればたちまちおしゃれになり顔に馴染む。
イエロー+左下の赤+目尻にカーキが多いけど、イエロー+カーキだけでも良い。左上のシルバーラメは、下まぶたに入れるとラメがゴミ化するので鼻筋と目頭の間ぐらいに縦に細く入れてる。店頭のお姉さんに教えてもらった入れ方で、こうするとゴミ化せず目に生命力が宿る!

 

12月は無理やりでもブログをたくさん書くようにしてたけど、インスタントなTwitterじゃなくちゃんと考えて吐き出すのも良いなと思えたので来年も続けたい。