from heart beat

観たものについて書いたり書かなかったりします。

ミュージカル「next to normal」感想

初演もTENTHも見ておらず、この2022年版が初見だった人の感想です。Nチーム(望海風斗・甲斐翔真・渡辺大輔・屋比久知奈・大久保祥太郎・藤田玲)しか見ていません。
思いっきりネタバレしているのでご注意ください。

全体の感想

ざっくり

すごく好き!とか人生ベスト3に入る!っていうハマり方はしなかったけど、曲・演出・役者のどれも良かった!また日本で上演することがあったら、キャストが変わっても見に行きたいと思える作品。
これは完全に感覚値だけど、何度聴いても体に馴染まないミュージカル楽曲がある一方で、N2Nの曲はどれもスッと体に入ってきた気がする。日本初演版の映像を見てびっくりしたんだけど、ブロードウェイのオリジナル版と同じようにセットが3階建てだったんですね!クリエにこれが建ってたと考えるとすごいな。最前列の人、3階にいる役者の顎下しか見えないんじゃない?
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2022年版の、2階建ての家に見立てたセットが盆でぐるぐる回るのはかなり好きでした。盆ってだけでまずテンション上がるし。逆V字の屋根のようなパーツや左右の柱が近づいたり離れたりすることで、一見家のように見えても実は噛み合わない歪んだ空間が舞台上に現れて、それが登場人物の心情とリンクしてたように思う。「RENT」とは違って甲斐翔真が飛びついてもグラつかない堅牢なセットで安心感があった(笑)。
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初日を見てまず、(息子のゲイブがキーパーソンであることは確かなんだけど)これは母と娘の話だと思いました。ダイアナが不安定なときはナタリーも不安定になり、怒るときは怒るっていう、起因は違えど母娘が同じ感情の波を共有していたっていうのがひとつ。二人がセットの1階と2階に分かれるパラレルな位置関係の演出が多かったのも、そう思った理由です。
そして何より、ダイアナとナタリーの関係改善が、一家が再生するきっかけになるから。再びゲイブが見えるようになりかけたダイアナが助けを求めるのはナタリーで、ナタリーもやっと、ダイアナにとってInvisibleでなくなり、本当の意味で自分を見てもらえた。ダイアナがナタリーと向き合ったから、ナタリーも「普通の隣でいいのかも」と言えるようになった。完全な和解ではないし、傷ついた過去は消えないけど、今より良い未来へまず一歩踏み出した母娘が本当に素敵で、毎回温かい気持ちがじわーっと心に広がっていきました。
そして物語の最後、ダイアナから受け取った光"Light"を、今度はナタリーが家に灯すんですよね。真っ暗な家に一人でいるダンに、ナタリーが「光を灯そう」と語りかけて、電気のスイッチを押す。もう透明じゃなくなったナタリーだから、物理と感情どちらの意味でも家に光を持ってくることができた。この展開がすごすぎて、なんてよくできたミュージカルなんだ~~と思いました。しかも、スイッチを押すナタリーの手の辺りにちゃんと照明が来るんですよ。N2Nの照明デザインめちゃめちゃ好き。

何回か見ていく中で、その日の自分の気分によってフォーカスする関係性が自然と違って見えたのも楽しかった。特に公演期間の後半にいくにつれ、父と息子の関係がどんどん立体的に見えてきました。
私はどうしても甲斐翔真ばかり見ちゃってたんだけど、ダンへのアプローチが公演期間の前半と後半では別物に感じました。前半は、言ってしまえばダンを「ダイアナを回復させて自分と彼女の関係を壊そうとする敵」とみなして、威嚇の姿勢や警戒心が強く表れていた。
でも後半では、ダンが自分を深く愛していたんだとゲイブ自身が初めて知り、ダイアナが出ていって抜け殻になったダンを今度はゲイブが受け入れる、父と息子のケアの関係がすごく印象に残った。例えば「How Could I Ever Forget?」でダンが初めてゲイブの死について語った瞬間、ダンに嫌われているという誤解が溶けていくゲイブの表情の変化がめちゃめちゃ良かった。
あとは、「I've Been」で一人で家の中を片付けるダンを2階から見つめて歌声を重ねるゲイブの姿が、後々の二人の歩み寄りに効いてたなーと思う。この声の合わせ方が、「I Am the One」のようなバチバチの対立とは真逆で、相手の状態を察知して自分の音を微調整しているような、思いやりがないとできない感じ。ダンの孤独も苦しみもゲイブがじっと側で見つめ続けていたのが分かるから、終盤の「I Am the One rep.」でボロボロのダンを分かってくれるのはゲイブだけだよなと、二人の精神的な繋がりにすごく納得感があった。

ゲイブはダイアナ個人の幻覚ではなく、グッドマン家全体の抱えた歪みや傷、同時にあの家にすみつく座敷わらし的な存在なのかなと思ってる。ダイアナがゲイブに会いたいと強く執着していたから見えてただけで、トリガーさえあれば家族の誰にでも見えるんじゃないかな。ダンはダイアナファーストで生活を送る中で、ゲイブをなくした自分自身の傷を見て見ぬふりしてしまったけど、「ゲイブを愛してた、側にいた」と初めて認めることで、やっとその傷をケアするスタートラインに立てた。まず自分の心の声を聞いて、痛いところはあるのか、それはどこかを分かってあげることが大事なんですよね。現代人無理しすぎちゃうからさ…大丈夫って言ってる人ほど大丈夫じゃない。

色の解釈

衣装や照明に象徴的に使われる赤・青・紫・黒などの色について。いろんな人が言ってるように、それぞれの色が表すものは、赤は正常から最も離れた状態、怒り、クレイジー。青は正常、紫は2つの間(next to normal)、黒は死だなと、なんとなくは見ていて感じました。特にナタリーを中心とした色の変化と、ダンとゲイブがラストで同じ赤を着ていた理由に絞って書きます。

ナタリーの衣装の色の変化
ナタリーの衣装には、彼女の複雑さがそのまま表れてたように思う。特に赤の塩梅が絶妙!冒頭、部屋着のインナーとして赤いキャミソールを着ているのは、自分のクレイジーな部分を覆い隠してるからだろうし、学校へ持っていく赤いリュックは、ナタリーが文字通り背負っている怒り・クレイジーさの象徴なんじゃないかな。これがリュックというのがミソで、ダイアナのように衣服としてまとって表層に表れているわけじゃない。鞄だから状況により降ろせ(隠せ)てしまう。ナタリーはそうやって、自分のグチャグチャした感情を抑えて生きてきたんだなと思います。
だから、ヘンリーが待つパーティーへ向かうとき、その赤いリュックをダイアナに渡し、コートの中には青いワンピースを着ているのがもう…めちゃめちゃ美しい演出じゃないですか!?!!「Everything Else」で歌っているように、調和の取れた完璧なソナタを好んでいたナタリーが、ヘンリーとの出会いでインプロ(即興)することを覚えた。つまり完璧を理想としていたのが、そこからズレる選択肢も有りだと思えるようになった。そして、やっと自分を「個」として見てくれた母親に背負っていた重荷を渡す。流れが綺麗すぎる~~…。
しかもヘンリーは、青いワンピースを着たナタリーを見て「青が似合う」と言ってくれるんです、愛じゃん…。でも、これで「青になれて良かったね、めでたしめでたし」で終わらない。ナタリーの不安は完全には消えなくて、「自分もいつか母のように気が狂うかも」とヘンリーを拒否しそうになるんだけど、ヘンリーはそれさえも受け止めて「なればいいクレイジー」と言ってくれる、夢彼氏なので。
ラストシーンでは紫を着ている二人が、これから青になっていくのかどうかは分からない。でも、ナタリーが「青にならなきゃ」と一人でもがくことはなくて、「ヘンリーと一緒なら青になれるかも」って前を向けるようになったんですよ。離れてラストを迎えるダイアナとダンに対して、ナタリーとヘンリーは対比の位置にある希望そのものなんだなと思います。

ダンとゲイブがラストで同じ赤を着ていた理由
これ、私は「ダンはまだ分かるけど、なんでゲイブも赤なんだろ~?」と疑問に思ったんだけど、みんなどう???
赤は正常から最も離れた状態を表しているのに対して、ダンの衣装はグレーや茶色といった当たり障りのない地味な色。常に自分の感情に蓋をして「落ち着け」と言い聞かせているような状態なのだと思う。本当に正常でなんの問題もないメンタルだったら、青を着ているだろうし。
で、ダイアナが家を出て行き、生きる意味を失ったダンは心のバランスが完全に崩れ、それを表すかのように衣装もグレーや茶色から赤いシャツに変わります。すると「I Am the One rep.」でゲイブに呼びかけられ、見えないふりをしてきた自分の問題といよいよ向き合わざるを得なくなる。
上で書いたこととダブるけど、ダイアナをケアすることに必死で、息子をなくした傷は自分も抱えていたのに、向き合う余裕がなかったんですよね。そうして血が垂れ流しのまま放置されてきてしまった傷を、「ゲイブを愛してた、いつでも側にいた」と言葉にして認めることで、ゲイブが見えるようになる。傷なんか「ない」と押し込めるのではなく、まず「ある」と認識しないと、癒やすこともできない。
だから、ラストでダンが赤を着ているのは、クレイジーになって「しまった」というマイナスの意味ではなくて、自分の痛みにやっと気付くことができた、一歩踏み出せたことを意味してるんだと思うし、そう思いたい。もっと言えば、躁状態だった冒頭のダイアナが着ていたのは目が痛くなるような攻撃的なきつい赤だったけど、ダンはくすんだ赤を着ているんですよね。その辺りも、ポジティブなニュアンスを含んでいるのかなと。
そしてゲイブも同じくくすみ寄りの赤を着ているのは、自分がダンに愛されていたと知ることで、ダンとの間にあった壁がなくなり、悪い意味でなくダンにとっての異常さの象徴になったから。ダンはこの後、専門家に自分の話を聞いてもらって、徐々に青か紫に戻っていくだろうけど、その過程でゲイブがまた見えるようになったり、消えたりしていくんだろうな。だから今は、ダンとの繋がりを象徴する意味でゲイブも同じ赤を着ているっていうのが私の考えたところです。

「完璧」「飛び立つ」などのキーワード

歌詞やセリフで繰り返し使われる言葉がいくつかあるなと思ったので、それについて。
「完璧」は、例えばダイアナの「完璧で理想の家族」、「あなたは誇りよ perfect plan」、ナタリーの「弾き続けるの完璧まで」。
「飛び立つ」は、ゲイブの「鳥は空を飛び、あなたはここに留まる」、ダイアナが歌う「So Anyway」の「飛び立つ」。
「完璧」が出てくるのは、やっぱり各々が理想を求めすぎて苦しくなっちゃってるとき。そしてダンの庇護下の家に「留まる」ことから逃れ、自分一人で問題と向き合うためにダイアナが取った「飛び立つ」という選択肢。こういう繰り返し出てくる言葉だけを追っても、N2Nって、思い描く普通になれなくてもがく人たちが、今いる窮屈な場所から飛び立ち、完璧じゃなくていい、普通の隣でもいいと思えるようになる話だと解釈できるかなあ。

甲斐ゲイブ

オタクによる甲斐ゲイブ褒めのターンです。
約一年前の「ロミオ&ジュリエット」、昨年秋の「October sky」どちらも主演で、N2Nは久しぶりに主役じゃなかったんですよね。
ロミジュリは、本人にそのつもりがなくても集団の中で目立つ"""特別"""オーラがめちゃめちゃに活かされてた。「October sky」では、ダイヤの原石だった男の子が夢を見つけ、どんどん光り輝いて回りを巻き込み、上昇していく過程が鮮やかでした。
こういう舞台上での存在感って甲斐翔真の大きな強みだと思うんだけど、今回は前提としてダイアナが主役でゲイブはその息子。しかも死んでいるから、ダイアナ以外のキャラクターとは会話したりっていうやり取りがほぼない。作品の中でどういう位置にいればいいのか、それぞれのキャラクターとどう関わればいいのか、正解はないしすごく難しかったんじゃないかな~と、オタクは勝手に思ってます。
で、今振り返ってみると、甲斐ゲイブはダイアナの精神状態に合わせてその存在の濃さをきちんと変えていた。ダイアナがハイでゲイブとの結びつきが強いときは、ゲイブも本当にそこにいる一人の人間のように生っぽさが増し、ダイアナに忘れられてからは、ギラギラした生命力を全く感じさせない虚しさに満ちた佇まいに変化していた。前述したような甲斐翔真自身の魅力的なオーラは、究極に理想化された幻覚の息子像を成立させるのにちゃんと活きていた。ダンやナタリーと関わるときも、ゲイブから何かを始めるんじゃなくて、相手の出方を見て自分のポジションを調整するというか、バランスをめちゃめちゃ意識して芝居していたように見えたんですよね。(これは甲斐ゲイブだけで成し得たことじゃなく、演出や相手の芝居あってこそだけど)上手いな~そんなこともできちゃうんだなって感動したよ…。

ここからは書きたい曲について好き勝手に書く。
「Just Another Day」の「世界は僕に従う」を歌うとき、軽くうんうんと頷き腕を広げる仕草をするんですけど、これがマジで覇王キング天下人でしかなくて大好き。私は甲斐翔真がこういう選ばれし者のオーラを発揮する瞬間が本当に好きです。だからビクター・フランケンシュタインをやってくれ。
躁状態のダイアナを、ドア枠にもたれ掛かり腕組み彼氏ヅラで眺めてるのも超好きだった。兵庫ソワレの席が下手サイドだったのでこの表情がよく見えたんだけど、シンプルに顔が好きだなあとしみじみ味わってました。

「I Am the One」、甲斐ゲイブが最初から「ども、本命彼氏でーす」って余裕かまして出てくるのでヤバかったです。歌い出しの「ヘイ、パパ。僕さ」は薬棚に肘を付き、「見えないの?」で手すりを掴んで片足体重の前かがみになる、これ以上に「余裕」を表現する動きあります?
東京公演の最初の方は、ダンに対して「(ダイアナにとって)僕がthe oneだ!」と張り合っていて、剛と剛のぶつかり合いでした。でも途中から戦法が変わって、ダンの剛に甲斐ゲイブは「柔」で対応し始めたんですよ、賢いね~!ゲイブが「ダンはあなたのこと全然分かってくれてないね^^」って下げるから、ダンの「僕が!僕が!」が気持ちの押し付けに見えてしまう。甲斐ゲイブの「僕が」は優しくて、猫がごろにゃ~んと甘えるように手を握ってすり寄ってくるから…恐ろしい子…。

「I'm Alive」は、回を追うごとにあの複雑なセットを使いこなし、仕草や体勢の自由度を高めながら歌うフィジカルに惚れ惚れしてました。手足が長いだけじゃなくて瞬発力もあるから、ジャングルで狩りをする大型の肉食動物みたいだった。舞台を降りればゴールデンレトリバーなのにね。
東京公演の途中から「欲望・腐敗・破壊者さ」のそれぞれに表情をつけるようになりオタク大興奮。特に「腐敗」で堕落した顔になったと思ったら、「破壊者」で口角を意地悪く上げて、見えないリンゴをグシャッと潰すように手を握るのが良すぎた!!!!大好き!!!!天才!!!!直後の「癒やす」でナタリーに後ろからねっとり寄っていくのも怖くて好き!!!!

「There's a World」は、ダイアナの両肩にただ手を置くだけじゃなく、人差し指~小指は固定して、親指だけで肩をポンポン撫でてたのがなんだかハチャメチャに良かったのでここで記録しておきます。

「Aftershocks」は私かなり好きなんですよね。胸がキリキリと締めつけられるような緊迫感のある歌声が癖になる~。でも「記憶は消せても僕は消えない」というゲイブなりの執着があり、ECTの治療を嘲笑しながら、忘れ去られることへの怯えも滲ませる。1幕でイケイケだったゲイブが初めて弱さを見せるシーンだと思う。ただ寂しい自分の気持ちだけじゃなく、根本的な治療には至ってないよね?と俯瞰して、「記憶を上書きすれば前より良くなるかも~♪」してる家族に疑問を投げかける感じが良かった。

「I'm Alive rep.」は通常版の「I'm Alive」があるからこそ映える!ダイアナとの精神的な繋がりが強かった無印に対して、リプライズは明確にダンへ「僕の名前呼ぶまであなたは僕を操れない」を主張する。ラストに向けて物語が急展開する場面だから、相応のエネルギーが必要だと思うんだけど、しっかり最後のロングトーンでぶっ放してくれてました、ラブ。「アイマァラーーーーーーーーーーーーアァイ!!!!」で2階の柱を掴んで何かを蹴り出すように片膝を上げて終わる動きがめちゃめちゃ好き。

「I Am the One rep.」は、通常版はダン→ダイアナ←ゲイブへ主張する曲だけど、リプライズだとゲイブは一貫してダンへ、ダンはダン→ダイアナが途中でダン→ゲイブに変わるのが本当によくできてる…!ダンはダイアナにとってのthe oneになろうと努めてきたけど、じゃあ誰がダンを支えるthe oneになってくれるの?って話じゃないですか。それは「I've Been」などでダンの孤独を見つめてきたゲイブにしか入れない位置なんだよね。17年間のすれ違いが昇華したかのような熱量×熱量の歌唱が毎回すごかった。

他のキャストについて

力尽きたので簡単にですが…。
望海さんが「I Miss the Mountains」で見せる望郷のニュアンスが大好きです。ダイアナが懐かしむ山々、自然の風景がどんなものなのか、手に取るように伝わってきた。
私はダンに対して割と厳しい目線を向けちゃうので申し訳ないんだけど、有害な無自覚さを演じるのがめちゃめちゃ上手いですよね渡辺大ちゃん。あと歌が超上手くなってた…!
屋比久ちゃんの一筋縄じゃいかない女の子の演じ方が大好きなので、ずっとナタリーのこと応援してた(泣)。「Superboy and the Invisible Girl」の一曲で見せる抑揚が素晴らしかったです。
大久保くんは本当に良い芝居をする…!パーティーに来るナタリーをキョロキョロしながら待ち続け、見つけた瞬間目に涙がみるみる溜まっていくの超良かった。ナタリーのことは君に任せた。
藤田さんのDr.マッデンは、最終的にダイアナにはマッチしなかったけど、合う患者にとっては誠実で冷静で良い先生なんだろうな。ロックスターのシャウトで顔を左右に細かく振るのツボでした。


あれこれと解釈できる作品はやっぱり楽しいですね。もしまたWチーム制で再演あったら両チームとも見ておきたいな~。